昨日、「カーコたちの青春」を掲載していますが、これに登場した3羽、実は今年、公園で誕生した兄妹なんですよ。(^-^)今日はこの害鳥扱いされているカラスたちにも、栄光の過去(?)があったというお話をしてみます。



 古事記の神生み神話に、「天の鳥船(あめのとりぶね)」なんていう鳥に関係しているような古代船が次のように登場しています。

☆ 次に生みたまへる神の名は、鳥之石楠船(とりのいわくすぶね)の神、亦(また)の名は天鳥船と謂(い)ふ。(古事記・上巻・神々の生成)



ここに出てくる天の鳥船の「天」は訓読みで「あめ」とか「あま」ですね。従ってこの場合の「天」は海女を「あま」と読むように、これは明らかに「海」を意味しています。

こうした例は、愛知県の海部郡、にもあり、これは「あまぐん」ですね。更には、隠岐島の海士町の場合も同様に「あまちょう」と読まれています。

よって天の鳥船のイメージとしては、「鳥が何らかの役割を果たすために乗っている、石のように硬い楠木で作られた海船」といった感じでしょうか。



話がここまで来れば、古代史や考古学などに関心のある方なら、即座に思い当たる遺跡がありますね。「そうだ。どこかの古墳の壁画にそんなのがあったぞ」と。

その通りです。鳥が船の舳先(へさき)にとまっている装飾古墳が九州にありましたよね。代表的なものに珍敷塚(めずらしづか)古墳とか鳥船塚(とりふねづか)古墳がありますね。所在地はいずれも福岡県うきは市吉井町です。
珍し塚


珍敷塚古墳






装飾古墳とは、その内部の壁や石の棺(ひつぎ)などに文様や絵画、彫刻などが彩色で施された古代人のお墓です。

この4~5世紀に築造されたと思われる珍敷塚古墳の壁画を見ると、中央に櫓(やぐら)形の砦(とりで)ないしは城郭{通説では弓矢が入った靫(ゆき)となっている}、その右端には盾か弓を持った人物、左側には太陽のような同心円文とその下に帆を張ったゴンドラ形の船、そして下部は海の中に爬虫類のようなものがいるといった感じで描かれています。

全体として、鳥船が遠洋航海の末に、やっと異国の陸地を遠望できるところまでたどり着いた時のシーンのようです。

この異国は恐らく魏志倭人伝に登場する裸国(らこく)あるいは黒歯国(こくしこく)ではないでしょうか。この壁画が制作された頃には、すでに伝説と化していたことと思われますが。



さて、裸国・黒歯国についてはそのうち触れるとして、この壁画の中で今の問題は船の絵です。この船には櫂(かい)を持った人物が乗っていて舳先(へさき)には鳥が一羽とまっているのが確認できます。そして船の上には、同心円状の太陽のようなものが描かれています。
鳥塚



鳥船塚古墳



またもう一方の鳥船塚古墳の場合は、絵が二段に分かれていて、上段には盾のような城門が一つだけあり、下の段には珍敷塚と同じように同心円とゴンドラ船がセットで描かれています。但し、こちらの船には艫(とも)と舳先の両方に鳥が一羽ずつとまっています。

それにしても、なぜ鳥を船に乗せているのでしょうか。

旧約聖書の創世記における「ノアの方舟(はこぶね)」の物語などにも、皆さんもよくご承知でしょうが、カラスやハトが水先案内として使われていたという話が出てきますね。

また、もう少し例をあげておくと、エジプトの古墳においても珍敷塚古墳と酷似した太陽と船と鳥の壁画が見られます。代表的なものは、第19王朝・セン・ネジェムの墓の「ラーの太陽舟」といわれるもので、これは紀元前1300年ごろに描かれたものとされています。更には第21王朝(紀元前1000年ごろ)の「冥界を進む太陽舟」とか「青さぎを乗せた舟」などもあります。
ラー



ラーの太陽舟


このように人間が鳥を飼い馴らして活用する術は、世界的に太古の昔からあったのですね。カラス・ハト・タカなどが、その代表格のようです。

現代の私たちが良く知っているのは、狩猟に鷹を利用する鷹匠(たかじょう)のケースなどですが、大昔には海上の水先案内役としても鳥が重宝されていたのですね。

航海中に針路を誤って漂流した場合などに、船上から鳥を放ち、その飛んで行く方向に船を向ければ陸地にたどり着けるというわけです。

それから大航海などの場合に、大洋上において方向を知るため、あるいは時間を測定するためには、太陽もまた重要な役割を果たしてくれます。ですから珍敷塚古墳の壁画の場合のように、「太陽と鳥と船」は古代の海洋民にとって遠洋航海には不可欠の三要素だったのですね。

またこれとは別に、カラスは古代においてゴミ処理係としても人間に貢献していたようですよ。それが今では害鳥、全く気の毒なお話ではないでしょうか。(^_^)