愛されない。そう思って生きて来た。

 

もしくは、愛は続かない。繰り返される愛と思われる存在と、そしてその後訪れる深い喪失の中で、生きて来た。

 

自信がなかった。

 

居場所を、一時勝ち得た愛を、失うのが何より怖かった。

 

 

そんな私が今思う事。

 

それは、私は愛するということがなんなのか、本当にはわかっていなかったのかもしれない、ということ。

 

愛したい。愛しているつもりでいた。でも、受け取ってもらえなかった。そう思ってた。

 

でも、本当に愛するということがどういうことだかが、わかっていなかったのかもしれない。

 

愛し方がわからない。私が思っていた「愛」というのは、結局見返りを求める何かで、それは結局愛されたいという気持ちでしか、なかったのかもしれないということだ。

 

愛するって何だろう。愛し方なんてわからない。だからいつだって他人を愛そうとしたって、それが正しいやりかたなのかどうか、びくびくしながら行っていたんだ。

 

だからそんな私はきっと、自分を愛するという事自体も、きっとわかっていないんだと思う。

 

あれだけ大好きだったTくんも。最初は愛を与えてくれていたんだと思う。

 

でも、私には、愛し方がわからなかった。こんな私の愛し方が、彼を幸せにできるのか、どこかで自信が持てなくて、

 

結局自分が行う事に彼からの感謝を求めたりしていた時点で、愛されたいの裏返しでしかなかったのかもしれない。

 

私の両親は、私に、愛を求めることばかりたくさん教えてくれたけど、私が人を愛する力は教えてくれなかったのだと思う。

 

最もそんなこと、親のせいにするものでもないんだけどもはや。

 

今日、心の底から共感した、以下の文章。

 

『愛し方がわからない。だから、いつだって不安で、自分の中の無価値感も、ずっとずっと、消えることがない。

これが、私が愛されていないと感じるほんとうの真実。私は、いつも心では愛されたいと思いながら、実際には愛されるのが怖く、しかも愛することが何かも分らないでいました。私の『愛する』とは、まさに自分の求める愛からの逃避で、『愛し合う夢』への依存だったのです。ただ素直に愛されることがただ素直に愛することだとそれは特別でも何でもない、疑いようの無い原理だと人を凄く凄く好きになっても、いつもそこにはそれが無くて失うことへの不安や傷つくことへの恐怖と、愛することができない自分がいるだけだと私はそれを受け入れられなかったのだと思います。『何故か愛する人には愛されない』と思っていたのに、本当はそれはただ『きちんと愛してくれる人を愛せていない』『きちんと愛されるってことも分かっていない』だけでした。』

 

2017年、私は変わった。人は変われるって、わかった。それは、本当に大きな進歩だった。

 

だから。

 

2018年の目標。
 

それを、「愛すること」、「愛されるということ」を、腑に落ちるまで学ぶこと。

 

そうするんだ。