大学時代、国際交流論で習った言葉。
ハイコンテクストカルチャーと、ローコンテクストカルチャー。
言わなくても、多くのことを理解してほしいと望む、ハイコンテクスト型。
言わないと相手とは何も分かり合えないことを前提とする、ローコンテクスト型。
私の人に対する期待値は、長いことかなりの割合でハイコンテクスト型だったんだと思う。
不思議なことに、誰かがイライラとする行動をして、それが外国人だとわかった途端、
そのイライラは、しようがない、というあきらめに代わり、ストレスが軽減されることが多い。
これまで私の恋愛に対する姿勢は、かなりのハイコンテクスト型であって。
そして、今の男の子は、それを得意とする子で、その辺は合っているのだろう。
だがしかし。
それは恋愛の、初期段階だからという部分がたぶんにしてあること。忘れないでいよう。
っというか、もう十分これまでそれで痛い目見たから。
丸3ヶ月経つまでは、相手に期待をせず、ありのままの出てきた相手の行動・姿勢を、
そのまま判断することにする、と。
思えば恋人との距離、というのは、不思議なものである。
近しくて、まるでひとつになってしまったような気がして、
だけど、その実は赤の他人であること。
私は、この大切な事実というものを、長いこと知らなかったんだと思う。
去年の夏、恋に破れた私に向かって、姉は言った。
「家族といえど、他人だからね。」
まるで仙人のような姉ではあるが、この言葉がコレまでの中では一番、衝撃的だった覚えがある。
恋人といえど、他人である。
長いこと、かなり長いこと、私にとってこの事実を受け入れるのは、耐え難かった。
きっと、私はかなりハイコンテクスト型な家庭で育ったんだと思う。
少なくとも、自分はそう感じるような、環境だった。
「依存的」「相手に期待しすぎ」
そういった私に投げかけられた数々の言葉は、私の長年のコンプレックスだった。
加えて、自分に自身がなくて、自分を消してしまいたくて、
相手に吸収されてしまいたいと、知らぬうちにそういう願望を持っていた自分が。
恋人に吸収されてしまいそうになる恐怖に恐れて、
でも結局人は一人で、二人はひとつになれなくて。
それが、悲しかった。
長かった、一人身の時間。
そして数々の、恋人と同化しようとしてうまくいかなかった経験。
それは、私に、人は結局、一人なのだ、ということを知らしめるのに十分な時間だった。
大好きだった人に教えられた、ヘドウィッグ&アングリーインチ。
そのテーマソングだった、愛についての歌。
あの歌を初めて見た時の衝撃。
「そして愛とは。
人は、一人じゃないことを実感したくて、
誰かと密接になり、一つになろうとする。
だけど、二人は一つになれなくて。
いつまでたっても、二人は二人のまま。
だけど、本当の愛とは
一つになろうとする、行為じゃない。
相手を尊重すること。
相手を他人だと認めること。
そして、相手がどのような行動をしようとも、それを尊重すること。
それでも愛を持って、相手を尊重できたとき。
きっとそれが、本当の愛、なんだろう。」
きっとそれが私なりの、The Origin of Love。