その頃、牧さんと私が

細々と続けていた会社も

長引くコロナで大打撃を受けていた。

 

うちの子供たちもそれぞれ進学し

一番お金のかかる時期で

牧さんとの仕事も続けながら

週2〜3回普通のパート勤めも始めた。

 

また、うちの父母や

旦那のタクちゃんの父母も歳を取り

介護こそまだ必要ないものの

買い物の補助や、

頼まれごともあったりと

度々訪ねていた。

 

それぞれ、車で1時間前後かか

る場所に住んでいたので

それだけで、週末が潰れてしまうのだ。

 

その間に牧さんは、

自身のお母さんが亡くなったり

孫が3人に増えたり、

経営状態の良くない会社の切り盛りにと

やはり余裕のない日々を送っていた。

 

あきの力になりたいと思いながらも

優先順位が下がってしまうこともあった。

 

今思うと、あきが月に1回

うちの会社に訪ねてきたとき

あきの話しを聞くことがメインで

私たちのそういう事情はあき

あまり話さなかったように思う。

 

私も牧さんも、大変なことをあまり

人に話せないタイプだというのもあるし

 

私と牧さん

仕事で四六時中一緒にいるので

お互いがお互いの事情を

大体把握しており、

少なくとも私はそれだけで

救われていたというのもある。

 

牧さんは一人暮らしだったが

近くに娘一家も住んでおり

私にも家族があったので

それも、あきとは大きく事情が

違うところだった。

 

あきは、近くに暮す従姉妹とも

絶縁状態にあったので

できることは力になりたいと

思っていたのだが

プライドも事情もあるだろうと思うと

色々難しい面もあった。