コロナ禍になった頃から

あきの体調が落ち着いてきたように

側からは感じていた。

 

あくまでも、

月に1回会って感じた事なので

真偽のほどは不明ですが。

 

相変わらず、月一の検査の帰りに

会社に寄ってくれていたのだが

コロナ禍で、外食もできず

デリバリーや、ウーバーイーツで

一緒にランチをしながら

あきの話(主に愚痴)を聞いていた。

 

美食家で、食べ物にうるさいあきが、

私たちのセレクトに飽きたのか

ある時から、テイクアウトで

豪華ランチを持って来て

くれるようになった。

 

 

2000円〜3000円はする

(それ以上の時もあるかも)

銘店のランチにテンションも

上がったものだが、

あきは、それだけでなく

私たちの誕生日や、お歳暮などにも

きっちり贈り物をしてくれていた。

 

あきの大盤振る舞いに

面食らったものの

牧さんがいうには、

あきはお金に苦労した40代を経て

病気はしたけど、

手術にも治療にも保険が降りて

やっと経済的に余裕ができて

そういうことをしたいんじゃないの?

ということだったので

ありがたく好意を受け取っていた。

 

会社で出前などを頼んでいた時は

牧さんが払ってくれたりしていたし、

そもそも、若い時から

うちの会社に入り浸っていたあきは、

いろんな恩恵に預かっているし

 

大変な時に助けてくれたからと

その都度、私たちに感謝の気持ちを

伝えてくれていたので

だんだん、あきにしてもらうことに

慣れてしまっていたのかも知れない。

 

あきへも誕生日など

贈り物はしていたんだけど

美食家でブランド嗜好の

あきへの贈り物は難しかった。

 

それでも、車を運転しないあきが

○○の○○が好きだといえば

片道で1時間かかる場所でも

出掛けて行き届けたりした。

 

ある時はケーキだったり

巻き寿司だったり。

あきの贈り物が一方的にならないよう

あきが喜ぶようなものを

牧さんと一生懸命考えながら。

 

あきが少しずつ元気になって来た頃

それに比例して貴子さんの体力が

あからさまに落ちてきていた。

 

コロナ禍2年目のお正月、

貴子さんが倒れたと

あきから電話がかかる。