こんばんは🌉


どら焼きやもみじ饅頭などの餡子はこし餡よりも粒餡の方が好きな寺尾海です🌊


まず始めに6月2日(日)に断髪式を行なったのですが、断髪式後に疲れ果ててしまいましてブログの更新が遅れてしまった事をココに謝罪します🙇‍♂️


約18年間の力士人生………嬉しい事、悔しい事、悲しい事、楽しい事、苦しい事、恥ずかしい事、色々な思い出が断髪式前からずっと頭の中を走馬灯のように駆け回っていました


そんな日々を過ごしていたわけですが、やはりどんな物語にも始まりが有れば終わりも有るという訳で自分の相撲取りとしての人生にも遂に終わりがやって来てしまいました


断髪式当日、部屋の床山さんの床瑛くんがまだ大銀杏を結う事が出来ないので阿武松部屋の床貴さんに人生最後の大銀杏をお願いしました



部屋の看板前で親方と記念撮影


番付は違えど同期入門で仲の良い関取衆2人とも記念撮影


伊勢ノ海部屋 錦木関


高田川部屋 竜電関


そして、苦楽を共にしたOB達による入鋏✂️


元・濱天聖


元・蒼天龍


元・若荒輝


元・寺尾藤


元・刃力


元・臥牛山




阿炎関


止め鋏をしているめっちゃ良い笑顔の錣山親方(元・豊真将関)


コレは経験した事有る人(断髪経験者の元力士)ならわかる事だと思うんですけど、髷が切り取られた瞬間にスーっと魂が抜けたかのような感覚になったんですよねぇ〜


なんて説明したらいいのかはわからないんですけど、自分の勝手な解釈で言うと「力士としての魂」や「緊張の糸」みたいな感じの物が髷と一緒に頭から離れて行ったような感じですかね

だからか知りませんが、断髪後に整髪している時は凄くリラックスした時間を過ごせた気がします


整髪後、来てくださったお客様にお別れの挨拶をする時に音羽山親方(元・鶴竜関)と部屋の前でハグと記念撮影をして頂きました


思えばこの18年間、色々な関取衆の付け人を経験させて頂きました


その中でも総合的に鶴竜関の付け人をしていた時期が1番長かった気がします


キッカケは鶴竜関が横綱に昇進して「付け人が7人必要だ」って時に井筒部屋と錣山部屋は師匠同志が実の兄弟で昔から兄弟部屋としてお互いの部屋の力士達も仲が良かったので若い衆が少ない井筒部屋に対して若い衆が多い錣山部屋の若い衆を付け人として貸し出しするって事でした


付け人に付いてからは日本全国あちこちを巡業や奉納土俵入りなどで巡ったのも良い思い出です


なので鶴竜関の付け人に推薦してくれた師匠には本当に感謝しています


欲を言えば、自分も自分より前に引退していったみんなみたいに師匠に断髪式で大銀杏姿を見せて「大輔、今までよく頑張ったな。お疲れ様」みたいな労いの言葉を言って欲しかったし、最後の止め鋏を入れて欲しかったです✂️


でも、普段生活では厳しく稽古場では恐ろしかったけど大好きだった師匠は昨年末に亡くなられてしまいました


自分の願いはもう一生叶う事はないけれど、通夜の前の日の夜中に師匠の棺の前で師匠に今までに言いたくても言えなかった悩みや照れ臭くて面と向かっては言えなかった事などを師匠の好きだったお酒を呑みながら話し掛けている時、充分に泣いたので断髪式では泣かずに笑顔でお別れをすることを誓いました


ですが、断髪式当日は稽古場に飾ってある師匠の写真を見ると何回か泣きそうになりました。しかし、来てくれたお客様や苦楽を共に生きてきた錣山部屋一家(現役もOBも全員)の笑顔のおかげで最後の挨拶まで無事に笑顔で乗り切ることが出来ました。


力士 寺尾海大士としての人生は2024年6月2日の断髪式で終わりを迎えましたが、これからは一般人 吉田大輔として新しい人生を歩んで行こうとしているので皆さん今後とも自分の応援よろしくお願いします🙇


あっ‼︎因みにですが、引退はしましたけどもこのブログ「寺尾海大士の東海道中膝来るぜ‼︎」は毎日更新は中々やらないかもしれませんが、ちょいちょい更新しますので今後も自分のブログに興味を持ってくださる方は気軽にご覧になって下さい😏


それじゃ、今日はこの辺で👋


おやすみなさい(( _ _ ))..zzzZZ