サザンオールスターズとミーハー論 | 寺岡呼人 オフィシャルブログ 「LONG GOOD-BYE」 Powered by Ameba

サザンオールスターズとミーハー論

「サザンオールスターズとミーハー論」


人生初のサザンオールスターズを観た翌朝、いまだ余韻が抜けない自分がいる。
感動と素晴らし過ぎたステージへのショックと車での遠征の疲れなど、抜け殻になってる中で、心地よく呆然としてる自分がいる。

去年初めて桑田さんのソロを観て、一番気になってた事は1年も経たない間にサザンオールスターズの活動、果たしてソロとバンドの差はなんだろう?という点だった。
ソロのバンドで、サザンを演奏したって成立するんじゃないのだろうか?
その“線引き”は何だろうという事を確かめたかった。

結論から言うと、サザンオールスターズは“バンド”だった。
グルーブ、サウンド、ハーモニー、、、僕もバンドマンの端くれとして、そのメンバーだけしか出せない音がある事は分かるつもりだけど、それが十分過ぎるほど伝わった。
「いとしのエリー」はあのアンサンブルでしか醸し出せないサウンドだった。

その「いとしのエリー」を聴いて、今年はポールマッカートニーが来日するけど、日本人にとってのビートルズにサザンはなってるし、「レットイットビー」と同じ感覚で日本人の心に染みついた名曲になっていると思った。

そして何より新曲が素晴らしかった。
この現役感はなんだろう?
ライブが終わって、一緒にいったシュワ君、林君と飲みながら「例えば昭和初期の歌手で35周年を迎えた歌手を、当時現役の20代は殆どが“ダサい”と思ったはず。特に歌謡、演歌系しかない時代というのもあるけど、でも今日のサザンみても20代の誰もダサいとは思わない、どころか10代、20代が35年前の曲を歌ってる。これって奇跡だよね」と話した。

35年前の曲も、20年前の曲も、新曲もどれも古くない。
そこに、僕は桑田さんの「ミーハー感」を感じた。
あのやんちゃさと、可愛さを、仕草を、表情を、どの曲にも忍ばせて、こちらを和ませる。そして気を抜いた瞬間、感動させてしまう。

誰にでも出来ることではない。
器の大きさと余裕と素直さ、そして“ミーハー感”を持ち続けてるからだと思った。

去年のソロでは、ちょいちょいスザンヌが出てきたり、ヤングマン歌ったり、今回では「あまちゃん」からAKBまで、、、。
プライドがあればあるほど、時事に背を背けて「俺はもう確立されている」なんて自惚れるのが普通。でももしかしたらその瞬間に衰退は始まってるのかもしれない。
あの大ヒットを連発してるスーパーグループが、ためらいなくAKBをやるから、過去の曲も“現役感”を感じる要因の一つになってるのかもしれない。

山田ひろしさんのFacebookに載っていたのだが、ヴォルテールの言葉で

「独創性とは思慮深い模倣にすぎない」

という言葉があり、それがクリエティブの真理なのかも。

桑田さんはその独創性のバランスを「ミーハー感」(ミーハーとは性質が違います)という形で取ってるのかもしれない。そのバランスの取り方は人それぞれだし、去年観た浜田省吾さん、ユーミン、皆さんそれぞれのバランスを取ってると思った。

そして、それはどんな仕事に就いてる人でも共通してることだと思う。
時事ネタを常にチェックする事ではなく、人それぞれの「ミーハー感」というべきもの。

それはずばり「気配」だと思う。
時代の空気の「気配」。これを感じる事が重要。

時事ネタ仕入れてれば誰でも独創性が生まれる訳ではない。


本当は「ライブ最高でした!」
で終わろうと思ってたのだがあまりにも素晴らしいライブに対して僕なりの敬意を表してみようと、、、、結局支離滅裂になったけど(笑)。

本当に素晴らしいライブをありがとうございました。