プロデュースワーク | 寺岡呼人 オフィシャルブログ 「LONG GOOD-BYE」 Powered by Ameba

プロデュースワーク

去年の夏ぐらいから、自分のブックを作ろうとおもって全然やっていない。
ブックとは、要は資料。

モデルさんが自分の作品をアルバムにして「こういう者です」とアピールする名刺みたいなもの。
独立したから、ああいうのを作って営業せねば!と思ったのだが、全然進まない(笑)。
ま、一般の人にはまったく出回らないものだけどね!

で、ちょっと進めようと思い、挨拶文、バイオグラフィー、、、などを書き始めた。
「超」めんどくさい(笑)!
やっぱ、頓挫しちゃうかも。

そして「プロデュースワーク」のところで、「俺、いつからやってんだっけプロデュース」と思い、「ゆず」を検索したら「Wikipedia」がヒットして、なんと1997年。もうそんなに経つのかぁ。

それで、読んでたら「昔の寺岡呼人から最近はサウンドが大きく変化」と書いてある(笑)。
そこで「プロデュースってなんだろう?」と、ふと思った。

実は僕はいまだによく分からない。
実体がない。

でも、理論的にやれる人は実体としての「プロデュース」を説明できるんだろうな。
とにかく、僕は「いるだけ」のプロデューサーなんじゃないかな。
「いるだけ」なんだけど、その場の空気や、リズム、流れを操れるプロデューサーとしては、多分かなり優秀ではないかと(笑)。乱暴な言い方をすれば「サウンド」は二の次かもしれない。
そこで、どういう人がどういうモノを作りたいかを、キャッチし、引き出すだけ。
「いるだけ」って表現、なんで好きかっていうと、Steely Danのプロデューサーのゲイリー・カッツって人に対する、メンバーの表現が「彼はいるだけだった」っていうのがあって、「いるだけ」って実は最高のプロデューサーじゃないかと思ってるだけなんだけど(笑)。

ゆずのサウンドにしても、「サウンド」として捉えてない。
植村花菜の『トイレの神様』のプロデュースが最たるものだね。
引き出しただけ(笑)。
でも、誰もが今やってない事に挑戦し続けて、成功したという意味では同じだと思う。

さて、またブック作り再開しようかなー。
いや、今日はやめよう(笑)。