読書のやり方を知らなかった21歳までの人生を語る。 | 寺本まことのブログ。444(エンジェルナンバー)。

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寺本まことのブログ。444です(444とはエンジェルナンバーの444という意味)。私は事務所に所属したことがない一般人。といちで10割(10分の1の支持で100パーセントの結果を得るという意味)が私の信条。私は無宗教。私はネット活動の主義はノン収益主義。

読書のやり方を知らなかった21歳までの人生を語る。
浦島太郎状態ってどういう状態だろう?18歳頃の俺はそんなことを思った。
浦島太郎状態とは気が付いたら何年も経過しているという現象のこと、というのを後で知った。
俺は浦島太郎状態なんて実現して生きていけるなんてタイムカプセルに入って
それで何年後かに誰かに開けてもらわなきゃ無理じゃない?なんてことを思った。
現実は友達に気に入られるために日々努力したり家族がいる場所で過ごさないと
時間もろくに潰せない。知識も得る手段もないから自己満足で過ごす日々。
精神薬を飲んで時間を潰してという日々。人生は素晴らしいものではない。
快楽を得た者、人生を長生きして自己満足の限りを尽くして終えた者が
人生の勝者であると思っていた。友達がほしいと思ってスカイプの掲示板で
友達をつくろうと思ったりもした。本当は友達なんて必要がない。
友達がいなくても時間を潰せる日々を、ゲームは飽きてしまうのでゲームに代わる
新しい何かを求める。他人を求めずとも時間を潰せて楽しい日々が実現することを
求める。俺はそう思って日々を生きていた。インターネット上の掲示板やsnsで他人を求める
日々に終わりがやってきますように。俺は心からそう思っていた。
外を散歩してみてもあまり楽しくはない。俺は孤独死をすることを恐れていた。
だから俺が友達にとっての数多くの友達の中の一人という位置付けでも俺は
俺を友達と思ってくれる友達のことを愛していた。いや、正確には愛そうと努力していただけなのかも
しれない。お互いに唯一無二の親友だ、と言い合える友人が俺は欲しかった。だが現実はそうもいかなかった。
他人を求めてインターネット上を彷徨う、友達に愛想笑いを浮かべる。そんなこと日常茶飯事だった。
いつかぐちゃぐちゃに腐ったこの不良債権を処理してやるからな、と俺はそう思った。
そして俺は22歳になった。俺は読書をするやり方を覚えた。ずっしりと両手に紙の本の
重さを感じる。そして紙の本を読む。没頭できた。嬉しかった。時間もすぐに過ぎていった。
ゲームは高いが本は中古でも安い。しかも本は電気代もかからない。俺は紙の本を読書することに
没頭していった。紙の本を読んでいる時は時間を忘れられた。18歳頃の時に思った浦島太郎状態を
俺は実現できるようになったのだ。以来、俺は他人を必要としない日々の時間を実現した。
元々、外界に絶望し失望していた俺はすっかり紙の本を読むことに夢中になった。
気が付くと俺は29歳になっていた。他人と出会い友達となる回数は非常に少ない日々となった。
でも22歳から29歳までの俺は孤独死を恐れずにすんだ。俺は嬉しい。俺はきっと一生困らないだろう。
何故なら紙の本を長い時間読書できるようになったからだ。アニメのファブルなんかを見ると昔の
読書を覚える前の自分を思い出してなんだか嬉しくもなる。芥見下々先生や暇空茜の躍進のカギは読書にあった!?
なんて。それはその人たちのことではなく俺のことだけどね。知識を得られるようになったのは大きい。特にスピリチュアルの本には
大いに世話になった。何だか自分だけ天界の仙人のようになった気分だ。皆、ごめんね。イエスキリストよ、ありがとう。
聖母マリアよ、ありがとう。これからもよろしく。紙の本を求める俺と他人を求める俺。どちらが魅力的かな?。
それはそうと、俺はもうすぐ30歳になる。寺本まこと。