空間と時間は関係ない。全ては魂なのだについて。 | 寺本まことのブログ。444(エンジェルナンバー)。

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寺本まことのブログ。444です(444とはエンジェルナンバーの444という意味があります)。私は事務所に所属していない(事務所に所属したこともない)一般人です。私は20代は読書する時間が多かったです。
私はネット活動の主義はノン収益主義です。実際もずっとそうです。





空間と時間は関係ない。全ては魂なのだについて。

この言葉はマイクさんの宇宙からの手紙に書いてある言葉です。

私はこの言葉は納得ができます。

私は2004年から(10歳から)無口になりました。

それは2011年の4月頃までそうでした(高校2年生になった16歳頃まで)。

私は言葉も喋れないしずっと自分の意思も他人に伝えることも出来ませんでした。そのストレスで顎も曲がっていきました。2003年頃にお喋りになって友達もたくさん出来ました。でも内心、上手くはいかないだろうなと思っていた面もありました。その通りになりました。友達を傷つけてしまうし転校生からは暴力を振るわれもしました。年賀状はたくさん友達から貰えました。でも内心。納得のできていない面もありました。いずれ失敗しいじめられると思っていましたし色々不幸なこともありましたから。だから2004年からはお喋りを封印しました。

そうすると友達は離れていきました。2003年の時の遺産を引きずる。そのことは2011年高2頃まで続きました。2004年、2005年とクラス替えがありました。いよいよ小5となり孤独死するかもしれないレベルとなりました。孤独を感じる分はこの頃からインターネットでの見知らぬ他人とのコミュニケーションでおぎなわれました(当時はインターネット自体があまり子どもには主流ではないのでこのことはずっと隠していました)。テレビで細木数子さんがブームだったので細木数子さんの言う教えを実践することにしました。それは感謝が大事ということと人間関係は鏡であるということです。私は言葉をあまり喋らない無口で学校生活を生きていこうと決めていたものですから。クラス内の特定のグループに所属することは当然としてコミュケーションの不足分をおぎなう必要があったのです。

タイガー・ウッズは他人に対して感謝するとか他人の勝利を願うということをしていたそうです。私もそれと同じことをしました。他人に対して他人のことを心でも行動でも誹謗中傷しないということを徹底させました。他人から愛されたいとか他人から話しかけられたいと思って念じて生きていました。その際、スピリチュアルの存在に委ねて感謝することもしていました。そのおかげか私は無口なのに他人から話しかけられたり愛されたりもしました。でも未熟だったのでネガティブなことも(自傷するような内容)思っていました。犬は飼っていなかったので犬のような愛されキャラになっていました。中学生の頃からは女子からは総スカンで男子としか関わりはなかったです。私は結局中学生の頃いじめられたり、もうこの生き方では駄目だと思うまでは中学校には通えていました。私は案の定、中2の二学期から家に誰も迎えにも来ない人望のない引きこもりとなりました。

私はこの頃メイプルストーリーにハマっていました。それで結局中2の二学期から中3の卒業までの単位は全て0でした。私は卒業式に出席しましたが表立って悪口を言われたりなどはありませんでした。下級生はリボンを私の制服につけてくれましたし卒業式ではその学校の先生も(他クラスの先生)私が卒業式に来たことを褒めました。私は無口でしたがいじめのみで不登校になることはありませんでした。様々な理由で中2の二学期から不登校になったのです。時間と空間は関係ない。全ては魂である。たしかに最もな言葉です。無口で自分から話しかけることも禁止した私がクラスメイトなどから愛されたりしたのですから。インターネットでの見知らぬ他人とのコミュケーションとクラスメイトからの愛。私はそうして心のコミュケーション不足の飢餓を乗り越えました。私が魂で望んだ通りに(喋ること、自分から話しかけることを禁止したにもかかわらず)クラスメイトからの愛を受け取り自分はそれを頷いたり受け入れたりするなどして交流し危機を乗り越えたのです。空間と時間は関係ない。全ては魂である。本当にその通りであると思います。でなければ私は言葉も話せない一人ぼっちとしてずっと認識されていたでしょうから。私は中学校を卒業し高校は中学校のクラスメイトの誰もが知らない高校へと進学しました。空間と時間は関係ない。全ては魂である。魂のみが物質世界を創造していくのである。マイクさんの宇宙からの手紙は面白い本です。スピリチュアルの本です。オススメです。全ては魂が創造するという言葉に私は過去を思い出し納得しているところでもあります。