中学受験でるでるシリーズ 平安時代について | 寺子屋楠 『生涯教育コンサルタント』楠木誠治の       教育お悩み相談所

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みなさん、こんにちは。今日は平安時代(へいあんじだい)についてお話しします。平安時代は、日本の歴史の中で約400年も続いた時代で、多くの文化や出来事がありました。わかりやすく説明するので、一緒に学びましょう!

平安時代の始まり

平安時代は、794年に桓武天皇(かんむてんのう)が都を奈良の平城京(へいじょうきょう)から平安京(へいあんきょう、現在の京都)に移したことから始まります。この遷都(せんと)の理由は、政治をより安定させるためでした。

摂関政治と藤原氏

平安時代の初めには、天皇が直接政治を行っていましたが、やがて摂関政治(せっかんせいじ)が行われるようになりました。摂関政治とは、摂政(せっしょう)や関白(かんぱく)という役職に就いた人が、天皇を助けて政治を行う仕組みです。この役職を多くの時代で独占したのが、藤原氏(ふじわらし)という有力な貴族の家でした。

藤原氏の中でも特に有名なのが、藤原道長(ふじわらのみちなが)とその子供の藤原頼通(ふじわらのよりみち)です。藤原道長は、「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」という和歌を詠み、自分の力が絶大であることを表現しました。

平安文化

平安時代には、貴族たちの文化が栄えました。特に有名なのが和歌(わか)や物語(ものがたり)です。和歌は、日本の伝統的な詩で、自然や恋愛をテーマにしたものが多く詠まれました。貴族たちは和歌を詠むことで、自分たちの教養や感性を表現しました。

また、平安時代には多くの物語が作られました。最も有名なのが、紫式部(むらさきしきぶ)が書いた**『源氏物語』**(げんじものがたり)です。『源氏物語』は、光源氏(ひかるげんじ)という美しい貴族の恋愛や生涯を描いた長編小説で、日本文学の最高傑作とされています。

他にも、清少納言(せいしょうなごん)が書いた**『枕草子』**(まくらのそうし)があります。『枕草子』は、貴族の生活や自然について書かれた随筆(ずいひつ)で、清少納言の鋭い観察眼と美しい表現が特徴です。

平安時代の宗教

平安時代には、仏教(ぶっきょう)がさらに広まりました。特に重要なのが、天台宗(てんだいしゅう)と真言宗(しんごんしゅう)という二つの仏教の宗派です。

天台宗は、最澄(さいちょう)というお坊さんが広めました。最澄は、中国から仏教を学び、日本に帰ってきて比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を開きました。一方、真言宗は空海(くうかい)というお坊さんが広めました。空海も中国から仏教を学び、日本に帰ってきて高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)を開きました。

武士の登場

平安時代の後半には、武士(ぶし)と呼ばれる新しい力が現れました。武士は、戦いに強い人たちで、地方の治安を守る役割を持っていました。最初は貴族たちの家来として働いていましたが、次第に力をつけていきました。

特に有名な武士の家は、平氏(へいし)と源氏(げんじ)です。これらの武士たちは、次第に大きな勢力となり、やがて日本の政治に大きな影響を与えるようになります。

平安時代の終わり

平安時代の終わりごろには、貴族たちの力が弱まり、武士たちの力が強くなりました。平氏と源氏の対立が激しくなり、やがて源平合戦(げんぺいがっせん)という大きな戦いが始まりました。この戦いで、源氏の源頼朝(みなもとのよりとも)が勝利し、鎌倉幕府(かまくらばくふ)を開くことで、平安時代は終わりを迎え、次の鎌倉時代(かまくらじだい)へと移ります。

まとめ

平安時代は、約400年も続いた日本の歴史の中で重要な時期です。平安京への遷都から始まり、摂関政治や藤原氏の支配、和歌や物語の発展、仏教の広まり、そして武士の登場といった多くの出来事がありました。この時代の文化や出来事は、今の日本にも大きな影響を与えています。

みなさんも、平安時代の歴史をしっかりと学び、日本の文化や歴史について深く理解しましょう。これからも、歴史の勉強を楽しんでくださいね!