教育で世界を平和に
ワクワクを仕事に
答えは1つじゃない!
『生涯教育コンサルタント』楠木誠治です。
タイミングが合えば、講演をさせていただいております。
先日も少人数ではありますが、教師の皆様にお話させていただきました。
そのときに質問されたのが、
「見守るとはいっても、好き勝手なことしてしまって収集がつかなくなるのではないか」
ということです。
当日は高校の教員の方にお話ししましたが、中学・高校くらいであれば、好き勝手に対してルールがあるかです。
アクティブラーニングが推奨されて、熱がさめ、もとに戻った教育現場も多いようですが、
アクティブラーニングは準備が90%です。
ルールと場を設けてからでないと、自主性は育ちません。
逆に言えば、ルールと場の提供をした後に、自分の意図した結果にならなくても良いように
あらゆるケースを意図しておくということがこちらの準備です。
つまり、ルールと場を提供しておいて、思い通りの結果に動かなかったときティーチングしてしまうのは、
その想定がなかったからであり、その想定がないことが問題なのです。
好き勝手動いた生徒に問題はないのです。
ちなみに、幼稚園や小学校では、さらにそのルールは最低限になり、
範囲から逸脱することをよしとする風土がだいじです。
もちろん、集団、規範、画一的な現代日本において、そのような逸脱を受け入れる文化がないかもしれませんが、
多様性が叫ばれる昨今、そのままで良いとは思いませんし、
やるべき課題を自分で理解しているというのは全世界の子ども共通です。
特に阻害要因の少ない幼少期は、なるべく思うままのことをさせるのも大事です。
本題に戻ると、
好き勝手して収集がつかなくなるのは
「ルールが悪い」
「想定が悪い」
の2つです。
見守るというと、手間のかからないイメージなのかもしれませんが、
見守るほうが、教えるよりも何倍も大変です。
しかしながら、見守る教育が、教育の中ですべてではありません。
幼少期からみなが同じかんがえの元教育を受けているわけではありません。
私は、今後も見守るという行為を通して生徒と向き合っていきたいですが、
決して教え込む教育を否定するつもりはありませんし、私自身技法としてつかうこともあります。
大事なのは、ぎりぎりまで生徒と真剣に向き合って、考えることです。
そして、目の前の結果の先にある人間像を想像することです。
この教育の結果ではなく、この教育の先に何があるのか
そんな大事なこどもたちの未来に携わる仕事が教育者なのだと思います。
教員の増員が決まりました。
とても喜ばしいことだと思います。
その反面、教師の質の担保ができるでしょうか。
どのように質を担保するか、実は学校ごとにできることがあります。
その方法などはここで話すことではないですが、
今回の見守り方と、その準備の話、
実は家庭でもまったく一緒なのです。
ぜひ参考にしてみてください。