私は現在音楽大学に通う大学一年生です。これからお話しすることは、少し⻑くなってしま うのですが、私の中学一年生から二年生までに起きた出来事から始まり、つい最近まで⻑く て暗い、ゴールが見えなかったトンネルの中を歩いていた頃のお話です。

#いじめ#不登校#学校中退#高校卒業認定試験

学校の先生たちへの信頼とお友達との人間関係 この二つは学校に通う中で誰もが悩むキーワードになってくると思いますが、私もその悩 みを抱えていた一人の生徒でした。 話は小学三年生ときに遡りますが、父の仕事で⻑野県の佐久穂町に引っ越すことになりま した。 中学までは普通に通っていましたが、中一の冬のある日、学校に着いたら私の机の上や制服 をかけるハンガーに『死ね』と書かれた落書きがありました。 私はその時までいじめに遭うことや特に友達関係で悩んでいたことなどなく、ある日突然 起きたことだったのでびっくりした気持ちで混乱しましたが、周りにいたお友達が一緒に 付き添ってくれてなんとか担任の先生に伝えにいくことができました。 でも私の性格から、先生にいじめの話をしたら迷惑をかけるんじゃないかと思い、先生の表 情を確かめながら冷静に話しました。 その時の担任の先生の顔は何か知っているようで顔つきが曇っていたのを私は感じていま した。 でもその時感じた私の気持ちは当たっていて、その日以前にも女子トイレに『岩岡あゆみな んか死んでしまえばいい。殺してやる。』と赤文字で書かれたトイレットペーパーが捨てて あった事件も起きていて、そのことを学校側がいじめとして隠していたことを後になって 知るのでした。 しかし、なぜ当事者である私にその真実を知らせなかったのかという疑問が生まれ、先生に 対する信頼がなくなっていきました。 でも、先生は口だけでも『必ず犯人を見つけ出すからな』というので、気持ちの半分は先生 を信じていいのかなという期待も抱いていたのでどっちを信じればいいのかわからなくな りはじめていました。 しかし、実際に学校側はいじめに使われた証拠品を処分していたことや、毎日のように続く 生徒への聞き込みで、私の仲のいい友達までも⻑い時間犯人かもしれないと疑われて、生徒 が泣きながら教室に戻ってくる様子を見ていて、「私のせいでごめんね」という申し訳なさ と、でももしかしたら仲のいい友達がやっているのかもしれないという疑いの気持ちの両 方を抱くようになりました。 その後も私が犯人だったと友人の名前を使ったなりすましの手紙が靴の中に入っていたり しましたが、今までの様子を見ていたので、すぐには両親や学校の先生に相談できずにいた

りしましたが、何を信じていいのかわからない時は私自身が正直な気持ちを持つことが大 切だと気づきました。 両親が希望したので第三者委員会を町側が開きましたが特に何もそこでは解明されず、学 校側の落ち度は認めたもののうやむやになった後味の悪いものでした。 周りからは「無理に学校行かなくていい」とか「大丈夫?」とかの心配の声をかけてもらい ましたが、その時の私はまだ犯人が見つからないからこそ戦って負けたくないという気持 ちや、周りに自分が傷ついている顔を見せたくなかったことや、犯人と本当の意味でわかり 合いたいという気持ちも持っていたので、不登校にはなりませんでした。

しかし二年生になっても犯人がわからないままだったので高校の進路を考えた時、田舎の 高校は数が少なかったため、もしかしたら犯人と同じ高校になるかもしれないという不安 があって、私の決断で東京に引っ越すことを決めました。引っ越す前に自分が⻑野を去るけ れど学校の先生に対する信頼を失ったことを伝えたかったのではっきり伝えました。先生 が私に対して「大丈夫?」とか「最近どう?」とかの言葉かけをしてくれた時に毎回先生に 対する不信感が募っていったこと、結局先生は私を心配しているふりだけだったのか。と今 まで心に溜めていた不安と泣きたいほどの叫びを先生たちに直接伝えました。そのことは 今となっても伝えてよかったと思っています。

そして中3の 4 月に世田谷の中学に転校して新しい生活が始まりました。今度はあまりに も違う環境の中で友達もうまくできず、今までは学校と戦うための気力で通っていました が、こちらの中学ではなんの為に頑張っているのか目標を見失いそうになり、だんだん行く のが嫌になりましたが「不登校になってはいけない」と圧力を感じて地獄のような生活でし たが、なんとか通い続けました。 しかしその時の私の支えには音楽がありました。私は幼少期からピアノを習っていて音色 を聞くだけで気持ちが落ち着き一人だけの静かな空間に身を置いていました。 受験勉強も、周りには勉強や体育などとてもよくできる優秀な人が多く、自分は音楽も勉強 も中途半端で自信が持てないままでしたが、なんとか音楽高校に入学しました。 高校一年生の夏頃から⻑野で起きたあの時の辛い出来事がだんだん蘇ってくるようになり 新学期になる頃に、学校に行ったら机の上に「死ね」と書かれていたらどうしようとか色々 な心配が湧き上がってくるようになりました。全て悪い方向に考える時期もあり、自分が殺 人犯になってしまうのではないかとか、電車の中で話している人の話が自分の悪口に聞こ えてしまったり、見えなくていいものまでも見えてきてしまう時期もありました。 なんとかしなければいけないと思い、私の決断でカウンセリングに行くことにしました。そ こでは薬の処方ではなく話をゆっくり聞いて、自分の言葉を話すことで自らの成⻑を少し ずつ感じ、それが何よりの薬になりました。先生に話すことで自立していく自分を感じ、自 分にとっての治療方法は「私」でした。最初はどこへいくにも母に付き添ってもらったり、 学校のある日は毎朝お腹が痛くなるので送ってもらい、電車の音がうるさくて乗れない時

期はどこにいくにも車で送ってもらいました。 高校二年の二学期頭からだんだんと学校に行けなくなって、11 月の末に自分自身の本当の 気持ちを整理するために一人で京都に座禅の修行に行くことを自分で決めました。修行の 期間、毎日の生活リズムと決まった作業に集中することでモヤモヤしていた感情を整理す ることができました。空気の良い自然環境で気持ちも落ち着いたところで改めて今後のこ とを考えた時、三学期からは行こうと決めたのですが、一日行ったところでやはり「本当に 無理」と思い母に「学校をやめる」と告げました。 やめる時も母は「どっちでもいいよ」というだけだったのでやめることは最後まで悩みまし たがポロッと決めたあとはスッキリしました。 やめた後も体調は悪かったけれど瞑想や神社巡りなど身体にいいことをやったり You Tube で自分と似たようなことを体験した人の話を聞いたりしたのもよかったです。また、いつも 忙しい母とその時はゆっくりランチをしたり旅行をしたりできたのもよかったです。 高校からずっとお世話になっていたピアノの師匠や周りの大人たちが見守ってくれた安心 感もありました。 その頃から私の目標はなんでもいいから自分の目の前にある小さな課題を一つ一つ繰り返 し乗り越える練習をすることでした。
高校卒業認定試験を A さんから教えてもらって学校を辞めてすぐ準備を始めました。高卒 認定の勉強は大学生の女性の先生に習い、親しい仲だったので楽しくできました。私は二科 目だけだったのであまりプレッシャーもなくそこまで大変ではなかったですが自分一人で 全ての科目を勉強するのは大変かもしれません。 また、時々迷いながらもひとつの目標として音大に行きたいと思っていたのでその入試に 必要な英検の準備も一緒に始めました。 本当は三年生になっていた一年間は毎週ピアノのレッスンを受けながら受験勉強をして、 お家で体調を整えていきながら取り組んでいきました。 その頃の目標は『やるしかない』、『一生懸命にやってもうここまでだというところまで努力 し、そこで当たって砕けても自分を褒める気持ちで』と先生に言われたのでその心持ちで受 験までやりきりました。嫌になったり諦めたくなっても、「落ちたらその後考えればいい」 「今は頑張ることだ」とあまり深刻に考えないように意識しました。 大学生になった今の気持ちは、いじめがあったから私は強くなったと思っています。私の場 合は親が忙しい事や姉が障害者だったので早く自立しないと思わなければいけなく、自分 を奮い立たせる状況であったことは逆によかったと思います。 それでも、めげずに生きていくことがしんどくて、何をやるにも修行のような道のりのよう だったなと思う時もあります。しかし逆算していくと、今の生活を歩んでいるのは確率で表 すと 98%位かな、いじめにあって自分が東京にきたいと決断できたからだと思っています。 今、大学に通っているからゴールできたとは思っていません。これからも私が楽しいと思う 場所に移動し続けます。

ただ人それぞれに自分が心地の良いと思う場所が、ふと寄り道すればあるかもしれません。 たくさん、回り道をしてください。冒険すること、挑戦することに躊躇しなくて大丈夫です。 今の時期は失敗をたくさんして、あまり責任感に縛られないで! そして、あなた自身が身体中に深く呼吸を取り入れることができる場所を探してみて下さ い。

○不登校の時に親や学校、周囲にされてよかったこと、悪かったこと

よかったこと 親が毎日学校に送ってくれて不安の時は一人にしないでいつも寄り添ってくれたこと。 高校の先生に「あゆみちゃんは辞めた方がいいんじゃない?」と言われたことが学校に必ず しも行かなくていいと思えた。
周りの環境は、A さんや地域の大人たちと料理をしたり、せたゼミやフリースクールまるの 子供たちと遊んで学校とは違うもうひとつの環境を作ることで不安な気持ちを紛らわすこ とができた。
気分転換にはずっと悩む時間を作らなくて良いので楽しいことだけをやった。 ○悪かったこと
いつまで不登校でいるの?やめるの・辞めないの?の圧力は感じた。 辞めてもいい?と相談しても、どっちでもいいよと言われたり、でもその後何するの?と先 がわからない答えが返ってくるのが決断する上で、心配になった。 もし私が元気になったら、誰も私に関心がなくなるのかなと思ってしまって、元気になって いいのかなと考えることもあった。 人が集まっている仕事場が家の中にあったのでなんでみんな賑やかなの?と思った。一人 でいたいけれど賑やかな声を聞くと孤独だなと悪い方向に意識してしまうのが辛かった。

今不登校のお子さん・親に伝えたいこと これがいいと思ったらとにかくやり、こっちの道かなと思った直感を大切にしてほしい。 家族だからといって必ずしも仲良くしなければいけないなどはない。
親は子どもが youtube やゲームをしていても今はじっくり見守ってあげて欲しい。 親は一人の人間として、自分がどうしたいのか、好きなこと・楽しい時間を優先してほしい。 子供も親が楽しいことをしているのを見るのは嬉しいはずです。 子供には寝たいだけ寝させてあげて欲しいですが日光を浴びるのはとても大切だと思いま す!