「自分を大切にする」とはどういうことか?という問いがありました。
私の結論は「命を大事にすること。またその命を大事にするという使命(or責務)を他の誰かに委ねないこと。自分でやること」でした。
別の言い方をすれば、生きる覚悟を持つと同時に、自分以外の誰一人として自分のことを守ってくれる人などいないのだと覚悟をすることであり、自分を粗末にしながら他者や世間に尽くしても、他者や世間がそれを憐れんで救いに来てくれるわけではないのだと諦めること。「自分を大事にする」の言い換えなのか、それができるための条件なのか、なんだか両方のような気がします。
自分を大事にしていても、世間や他者に媚びなくても本当に何とかなる?と問われれば、「何とかならなくても、なんとかなる」んだろうな…と。
京都の五山の送り火は、日野富子がただ一人の我が子を亡くし、慰霊のために始めたものですね。
ただ一人の最愛の我が子を亡くても、人は生きていくのです。そういうものなのです。
そして思いました。
「命とは、荒ぶる神のごときもの」
大概のことでは消滅しません。大事にしないと暴れます。
命を粗末にすると苦しいのはこのためなのかもしれません。
2000ピクセル以上のフリー写真素材集 より転載させていただきました。