戦後の日本政府は、日本人のことを守ってくれません。
今回の、原発事故でも
BBC 核攻撃のときの予定原稿
http://www.youtube.com/watch?v=7Cvk4QQLKD0
のような放送をすべきだったのに、結局は、180度逆の事を言って、ウソを突き通して、大量の若者と子供を被爆させる最悪の結果となりました。
これは、今に始まったことではなく、戦後ずっと同じ状況が続いています。
この記事をちょっと長いですが読んでみてください。
http://www.news-us.jp/article/286733893.html
これを読むと、アナタもネット上の若者に増えている「ネトウヨ」になります。
内容的には、以下のような部分が大切。
・韓国が反日になっている本当の理由。
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少し考えればわかることだが、朝センは世界一貧乏だっただけでなく、
技術も資源もなにもなかったのだから日本の力なしに急成長などできるわけがない。
なにもなかったのに借金だけあったから併合を望んだのだ。
木造のあばら家で雑穀を食って風呂に入る習慣も持たない土人のような生活をしていた韓国が、
『たった数十年で』ビルが立ち並ぶ街に住み、米を主食に清潔な環境で暮らす国際的にも豊かな国のひとつになっている。
ある意味奇跡的ではあるが、それは日本の努力によるものである。
そして日本が敗戦し、併合が終わる。
日本に繁栄させてもらっていた朝セン半島はすぐに再び貧乏で騒乱の続く廃墟ばかりの国に逆戻りし、
しかも独立後すぐに同族での殺し合いである朝セン戦争が勃発し、半島内は困窮を極めた。
ここで朝セン政府が恐れたこと。それは国民に、
「日本統治時代の方が良かった…」と言われてしまうこと。
当時はまだ日本人として生きてきた朝セン人たちがたくさんいたので、
親日派が現行政府を否定しないとも限らなかったのだ。
それを言われては新しい政府の面子が潰れるだけでは済まない。
反政府勢力が拡大して「国家が転覆してしまう恐れ」があるのである。
そのような尻に火がついた状況においては、本来なら政府が必死の努力で国力を回復しなければならないはずであるが、本来怠け者の朝セン政府はもっと簡単な方法を思いついてしまった。
それが『日本は韓国をボロボロにした悪逆非道の悪魔』という嘘をついて日本を貶めて韓国国民を洗脳するという方法なのである。
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この、韓国が戦後とった「国民に、日本統治時代の方が良かった…と言われてしまうこと」を恐れて、反日政策を徹底的に行った結果、そういった空気が日本にも伝播します。
日本国内の、韓国推し的な空気は全て、上記の韓国政府がついたウソが発展して、今に至っています。
韓国の良い部分は、それなりにテレビや新聞で報道されます。
けど、反日的な部分はほとんど報道されません。
また、日本に親日的な国々について、逆にほとんど報道されません。
例えば、以下。
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3. アジア各国から見た太平洋戦争3(パラオ)
戦後は日本の変わりにアメリカが統治をすることになりましたが、パラオの人々は日本への感謝の念をずっと忘れることはありませんでした。
1994 年、パラオはアメリカからとうとう独立することとなります。
それに際して国旗を制定することとなったパラオは、敬愛なる日本の日の丸と同じデザインにすることに決めたのです。
黄色い丸は月を、背景は青い海を表します。
しかし月が中心より少しずれていることにお気づきでしょうか。
これは日の丸と全く同じデザインにしては日本に失礼だからとのパラオの配慮です。
そして、独立式典ではパラオ国歌の斉唱の後、君が代の斉唱がなされ、パラオは独立を宣言したのです。
アメリカの統治は50年にも及びましたが、パラオの人々の心に残っているのはアメリカの統治が始まる前の50年前に滞在した日本人だったのです。
日本が短い統治の間にパラオの人々の心に残したものはそれだけ大きかったのです。
今でもパラオ人の8割は日本への親愛の証に、その姓名のどちらかに日本式の名前を付けているといいます。
またパラオは日本の歴史教育問題に非常に協力的で、パラオの国会で日本の教科書問題が議論されるほどです。『日本へ真の歴史を』と。
クニオ・ナカムラ前大統領は以下のコメントを残しています。
「日本国民と日本人が「どの民族も例外なく持っている自国の正史を回復すべく」努力している活動を支持する。
この活動が実を結ぶことは、日本の未来の世代をして、偉大なる自国の歴史、伝統、文化に目を見開かせることに積極的な貢献をなすだろう」
実に的を射た発言で頭が下がります。
韓国、中国などは歴史を反省していない。と毎度発作のように騒ぎますが、その一方で日本の偏った自虐的歴史教育をを憂う国があるのです。
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こういった事は、まったく報道されません。
歴史の教科書に掲載され、国民全体が本来は絶対に知っているべき内容です。
存在しなかった従軍慰安婦とか、南京大虐殺とかを教科書に載せる前に、載せるべき事がたくさんあります。
また、教科書の中に、韓国や中国との関係だけでなく、太平洋戦争中や戦後の、その他のアジアの国々との事がそれほど掲載されていません。
また、こういった他国の首相などが発言している公式声明についても一切触れられていません。
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「日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。
日本というお母さんは難産してその母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
こんにち東南アジア諸国民が、米・英と対等に話しができるのはいったい誰のお陰であるか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあった為である。
12月8日は我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大決心をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」
ククリット・プラモード元首相(タイ王国)
■日本ほどアジアに貢献した国はいない。日本ほど誤解を受けている国はいない
■真の独立記念日は1948年1月4日ではない。1943年8月3日だ。独立の真の理解者は東條大将と日本だった
ビルマ連邦首相 バ・モウ
■日本が謝罪をする必要性を我々は感じていない。それ故、インドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない
インド連合首相 ジャワハルラール・ネルー
■日本のおかげでアジアは独立できた。日本というお母さんは、母体を壊してまでも『アジア諸国』という子供を生んでくれた
■今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは、身を挺して仁をなした日本というお母さんがいたからである
■我々は12月8日(太平洋戦争開戦日)を忘れてはならない
タイ王国首相 ククリット・プラモート
■あの戦争は我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。それなのに全て日本に背負わせ、日本を壊滅寸前まで追い込んでしまった。申し訳ない。
■我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。インドネシアの場合は350年間も失敗が続いた
■それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の目の前で、徹底的に打ちのめしてくれた
■我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。一度もった自信は決して崩壊しない
インドネシア首相 ブン・トモ
■日本の戦いは8月15日に終わった。我々の戦いは8月17日に始まった
■オランダは独立の腹いせに、多額の債務をインドネシアに要求した。これを、戦時賠償の形で肩代わりしたのが日本であった
インドネシア独立の父 M・ハッタ
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こういった事が、教科書に掲載されない理由がよくわかりません。
私たちは、偽りの歴史教育の中で育っており、何か恣意的な方向性をもって教育が行われています。
その結果、2011年3月12日~14日に原発が爆発しても、普通の日本の教育で育った人たちは、何も考えることなく、普通に過ごしてしまっているのです。
日本人は、本来国家繁栄のために、立ち上がり戦う遺伝子を持っています。
国家繁栄の基本は、子供と若者であり、それをどうやって育て、次世代につないでいくかが、国家の基本です。
太平洋戦争末期には、若者をたくさん戦場で死亡させていますが、子供達は次世代につなげるために、空襲から政府が疎開させて、なんとか死ぬことがないように、ギリギリの状況であっても、命だけはつなげようと必死だったことがわかります。
http://www.suginamigaku.org/content_disp.php?c=452c54a860472&n=2
今の日本はどうでしょうか?
福島や近県で大量に被爆している人たちを、放射線防護法違反にもかかわらず、放置している状態がずっと続いています。
東京圏でも、柏、三郷、葛飾区などは、放射線防護法違反の状態にあるにもかかわらず、人々が普通に生活しています。
戦時中の末期よりも、今の日本政府は、未来を見ていない組織です。
このまま、私たちも日本政府と一緒に死ぬのか、生きるのか。
それぞれに、その問いが投げかけられています。
人間、死ぬ気になったら何でも出来ます。
神風特攻隊員たちの遺書
http://www.youtube.com/watch?v=_QOXodCXpTs
特に、こういった「神風特攻隊員たちの遺書」などを読むと、自分の志の低さに恥ずかしくなります。
19歳、23歳などの年齢で、こういった遺書を書いて、戦闘機に乗り、家族や日本の未来のために、自分を犠牲にしていった人たちがたくさんいます。
そういった方々の想いを、私たちは引き継ぎ、未来に託していく必要があります。
私は、これ以上状況を放置するわけにはいかないので、子供達の未来のために、私は何度でも選挙に挑戦し、信じる道を進むつもりです。
人によっては違う意見の人もいるかと思いますが、私は自分が正しいと思う道を進むつもりです。それを、選挙で判断してもらえば良いと思っていますので、迎合するつもりはありません。
千代田区民および日本国民全員で、真剣に将来のことを考え、放射能とどう付き合っていくか、自分自身と対話する必要があります。
私としては、段階的に千代田区民を関西へ移転できるように、年月をかけて準備していくだけです。
これからも、その最終目標に向かって、がんばります。
私たち千代田区民も、それぞれに、放射能との関わり方について、正しいと思う道を見つけ、それに向かって着実に前進出来るよう、私自身心から願っております。