国を支えて国を頼らず
今日は暑過ぎて、干からびそうになりました、寺田です。
ふと秋の訪れを望んでしまいました。
ところで、今日は北康利さんという方が書かれた福沢諭吉に関する本、
「国を支えて国を頼らず」
という本を読みました。
本にも書いてありましたが、
福沢諭吉というと、
「あ!一万円札の人ね」とか、
「学問のすゝめ書いた人ね」くらいしか思い浮かびませんでしたが、
この本を読んでその偉大さが少し分かり、
痛く感動したものです。
本のはじまりにこうあります。
(そのまま抜粋すると文脈上意味が分かりづらくなるので少し変えます。)
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
「福沢諭吉は、
イギリスのマンチェスター紙で『日本のソクラテス』と讃えられたが、
諭吉はソクラテスのように『無知の知』
(真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる)
といった抽象的とらえ方をするのではなく、
「時代が必要とする知は何か」ということを直接的に語り、
明治時代という最も「人材」が必要とされた時代にその供給を引き受け、
人材教育に取り組み近代日本の基礎を築いたのであった。
その中で、諭吉の素晴らしいところは、
人材育成という多大なる貢献を国家にしているにも関わらず、
国家に依存することを潔しとしなかった点である。
「国民一人ひとりが独立しなければ、国家の独立などあり得ない」
と学問のすゝめでも説いているように、
「民」であるというと、すなはち「私立」という立場であることに誇りを持ち、
「独立自尊」の精神(他に頼ることなく、自らの尊厳を自らの力で守ること)を貫いた」
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
もう、ここを読んだだけで、現代社会に一矢投じているという感じがします。
多くの国民は、
日々汗水たらし必死で働き、
私立であることを胸に、
家族を、自分を、そして国を支えるということに必死で取り組んでいるわけですが、
それに対して今現在の国という存在は、
私立である国民に頼り過ぎ、国立していない。
選挙と言えば、民に頼る。
最近ではどの政党も、
しっかりとした政策を掲げることなく、
票を取るためだけ(必ずしもそれだけではなく、素晴らしい政策もその中に紛れていますが)に、
民にこびた政策ばかりを掲げ、
さらには民に媚びた人選をし(著名人にむやみやたらと声をかけたり等)、
さらには政策も価値観も全く異なる党同志が連立を組んでみたり等・・・
最近だけの話ではありませんが、
とにかくどの政党も、
形を正確にとらえるのが難しいようなアメーバーのような状態を続けています。
政策と言えば、
国は多大なる借金を抱え倒れかけているというのに、
短期的な視点から考え出したものばかりを掲げて・・・
民があたかも「幸せかもしれない」という幻覚に陥るように仕向けている気がしてならない。
今、私たちは、
知らぬ間に「遠くに見える砂漠のオアシスを見るように仕向けられているんだ」
ということに気づかなければならない時が来ているのだと気づかねばならないのだと思います。
一生懸命砂漠の中を歩き続けて、
オアシスの前にたどり着いたと思ったその時、
跡形もなく、オアシスは消えてしまうのですから。
今の政治家の方々(もちろん全員ではなく、素晴らしい方もたくさんいらっしゃいますが)は、
保身・・・というか、
自分個人の地位や名誉というようなものを築き上げることや、
自分自身が政治家で在り続けるためにどう行動するのがよいのか、
と言ったことばかりにとらわれているような気がしてなりません。
今一度、
福沢諭吉の言うように、
「今、本当に必要なことは何か」ということを直視して、
今後の政治を進めていただきたいものです。
もちろん、国民も、
政治家を選ぶ際には、
「今、本当に必要なことを実行出来る人は誰か」
をしっかり見極めなければならないのですから、
気が抜けません。
なんて・・・
本を読んで思ったりしてみるのでした。
しっかり生きなきゃ!
それにしても、本ってすごいですね。
一冊読むだけで、
一回違う人生を生きたような気持になって、
色々考えてしまいます。
明日は何を読もうかな・・・
今日もワクワクしながら寝ます。
おやすみなさい。
ふと秋の訪れを望んでしまいました。
ところで、今日は北康利さんという方が書かれた福沢諭吉に関する本、
「国を支えて国を頼らず」
という本を読みました。
本にも書いてありましたが、
福沢諭吉というと、
「あ!一万円札の人ね」とか、
「学問のすゝめ書いた人ね」くらいしか思い浮かびませんでしたが、
この本を読んでその偉大さが少し分かり、
痛く感動したものです。
本のはじまりにこうあります。
(そのまま抜粋すると文脈上意味が分かりづらくなるので少し変えます。)
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「福沢諭吉は、
イギリスのマンチェスター紙で『日本のソクラテス』と讃えられたが、
諭吉はソクラテスのように『無知の知』
(真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる)
といった抽象的とらえ方をするのではなく、
「時代が必要とする知は何か」ということを直接的に語り、
明治時代という最も「人材」が必要とされた時代にその供給を引き受け、
人材教育に取り組み近代日本の基礎を築いたのであった。
その中で、諭吉の素晴らしいところは、
人材育成という多大なる貢献を国家にしているにも関わらず、
国家に依存することを潔しとしなかった点である。
「国民一人ひとりが独立しなければ、国家の独立などあり得ない」
と学問のすゝめでも説いているように、
「民」であるというと、すなはち「私立」という立場であることに誇りを持ち、
「独立自尊」の精神(他に頼ることなく、自らの尊厳を自らの力で守ること)を貫いた」
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もう、ここを読んだだけで、現代社会に一矢投じているという感じがします。
多くの国民は、
日々汗水たらし必死で働き、
私立であることを胸に、
家族を、自分を、そして国を支えるということに必死で取り組んでいるわけですが、
それに対して今現在の国という存在は、
私立である国民に頼り過ぎ、国立していない。
選挙と言えば、民に頼る。
最近ではどの政党も、
しっかりとした政策を掲げることなく、
票を取るためだけ(必ずしもそれだけではなく、素晴らしい政策もその中に紛れていますが)に、
民にこびた政策ばかりを掲げ、
さらには民に媚びた人選をし(著名人にむやみやたらと声をかけたり等)、
さらには政策も価値観も全く異なる党同志が連立を組んでみたり等・・・
最近だけの話ではありませんが、
とにかくどの政党も、
形を正確にとらえるのが難しいようなアメーバーのような状態を続けています。
政策と言えば、
国は多大なる借金を抱え倒れかけているというのに、
短期的な視点から考え出したものばかりを掲げて・・・
民があたかも「幸せかもしれない」という幻覚に陥るように仕向けている気がしてならない。
今、私たちは、
知らぬ間に「遠くに見える砂漠のオアシスを見るように仕向けられているんだ」
ということに気づかなければならない時が来ているのだと気づかねばならないのだと思います。
一生懸命砂漠の中を歩き続けて、
オアシスの前にたどり着いたと思ったその時、
跡形もなく、オアシスは消えてしまうのですから。
今の政治家の方々(もちろん全員ではなく、素晴らしい方もたくさんいらっしゃいますが)は、
保身・・・というか、
自分個人の地位や名誉というようなものを築き上げることや、
自分自身が政治家で在り続けるためにどう行動するのがよいのか、
と言ったことばかりにとらわれているような気がしてなりません。
今一度、
福沢諭吉の言うように、
「今、本当に必要なことは何か」ということを直視して、
今後の政治を進めていただきたいものです。
もちろん、国民も、
政治家を選ぶ際には、
「今、本当に必要なことを実行出来る人は誰か」
をしっかり見極めなければならないのですから、
気が抜けません。
なんて・・・
本を読んで思ったりしてみるのでした。
しっかり生きなきゃ!
それにしても、本ってすごいですね。
一冊読むだけで、
一回違う人生を生きたような気持になって、
色々考えてしまいます。
明日は何を読もうかな・・・
今日もワクワクしながら寝ます。
おやすみなさい。