みなさんこんばんは~(*^^*)

8月5日…父の命日です

実の父ではありませんが私が18歳から

父になったのです…

 

母42歳、父30歳の時でした

 

母40歳、子宮がんステージは初期ですが全摘出

再発はもう助かりません…医者からの言葉です

まだ告知もあまりされてない時に16歳の私に…

そのまま伝えました、次再発すると助からないそうだよ

高1の終りです、母は28歳の父と死ぬまでの間、

一緒にいることを決心しました

 

当時の父の言葉は『俺が死ぬまで面倒みるから

あとは任せてくれ…』

まあ私の方が16歳にしてこの28歳の真っすぐな青年より

世間ずれしていた気がしています…

じゃあよろしくとお願いし、高2のころには私は

学校、バイト、バイト、バンド、女、女、女の日々でした

 

私は学校が神戸、バイトが西宮、土曜午後からと日曜日の

バイトが梅田な難波の服屋さんでした

もちろん独り暮らしでした、家賃も公共料金も

大学まで母が払っていたのでしょうか?口座から

引き落としだったのか?払っていたつもりでしたが記憶にない

 

父との関係は良好でした、温厚な人という感じで

見た目がとにかくふけてる、いつの間にか父ですとか

取引先に「息子や」とか言っても普通でした

 

57歳の時なってすぐに倒れました、病院からの電話は

最後の着信履歴で私にかかってきました…

このままいかせてあげるのも方法ですと言われましたが

費用の面とかじゃなくてとにかく生かしてくださいとお願いし

この倒れた日の宿直の医者が脳外科の先生だったのです

 

そこから12年ほど寝たきりで、その間に父の母もなくなり

そこから2年ほどで父の父もなくなり、ギリギリ親よりかは

長生きしたわけです、そして平成29年1月…

母が病院に救急搬送される、胃がんのステージ4でした

 

余命半年ぐらいかな?とはいうもののまだ母は

かなり元気、すぐ退院して父の病室に毎日います

そして母がついに父に告白したのです…

余命半年って言われてもう2月たったからあと4か月ぐらいかな~

その日から…ビックリするほど父が弱っていくのです…

 

先には死ねないと言ってた母は先に行くねって言うつもりで

言ったんだと思うのですが毎日弱る2人、母はごめんねって

行ってました

抗がん剤治療で母は少し持ちこたえ、父はその後半年で

亡くなりました…8月5日 

孫、息子、嫁、弟兄弟夫婦たくさんに看取られて亡くなりました

 

そして母はその後、オプチーボの治療もしましたが

翌年の5月に亡くなりました

 

お墓は他にもあるのですが、分骨してここ一心寺に

納骨もしています

近くに手を合わせる場所が欲しかったというだけなんです

いつまで来れるかわからんけどね~

 

スタンプ設置場所移動…一度に全部押せる?

 

七坂もスタンプ位置が変わった… そんなこと気にしてる人見たことない

 

とにかく元気なうちは来るよ~~