みなさんそろそろこんばんは~(*^^*)

今日も暑かった、そして私は出かけてたのですが

電車を降りる時に財布を忘れたことが判明… 

paypayとaupayとSuicaの3000円しかない…

買い物と目的だった植物園も断念…神社だけ行くことにした~

 

神戸市灘区 岩屋の敏馬神社(みぬめじんじゃ)です

 

先日行った生田神社の摂社の松尾神社にある由緒で、

【新羅からの使節を「敏馬浦」でもてなす】と言事でここに来ました

 

神功皇后が新羅征伐に向かうに際して、

川辺郡神前松原(豊中)で神集いをしたところ、

能勢の美奴売山(三草山)の神が降臨し、

「わが山の杉の木を切って船を作れば幸いあり!」と教えた。

その通りにすると新羅征伐は大成功を収めた。

 

新羅征伐を終え、九州から畿内へ帰還の際、

この地で船が動かなくなった。

そこで占ってみると「神の御心なり!」と出たので、

美奴売の神をここにお祀りし船も献上した。

 

創建当初は「美奴売の神」が祀られていたが、

現在の主祭神は素盞嗚尊で、天照皇大神と熊野坐神を配祀している。

 

『延喜式』の玄蕃寮の項には、特に、新羅より賓客が来朝したとき、

生田神社で醸した酒を、当地にてふるまったことが見える。

難波の鴻臚館でも酒をふるまっているので、

当地で酒をふるまうことは一種の儀式だった。

『延喜式神名帳』では「摂津国八部郡 汶売神社」と記載され、小社に列している。

 

都から現在の大阪を経て、西国に船で向かうときの最初の宿泊港であり、

西国から都に戻る時、大和を意識させる生駒山などが

見え出す地でもあることから、柿本人麻呂、大伴旅人、田辺福麻呂はじめ、

多くの歌人によって、和歌が当地で詠まれた。

 

江戸時代には、俳人の与謝蕪村も兵庫の北風家に立ち寄る途中、

度々訪れている。

 

西国街道(浜街道)に面していたので、様々な遊戯施設が設けられ、

陸からも、海からも、参拝者が訪れ、賑やかであった。

 

祭神が素戔嗚尊ということですから新しい本殿の千木は垂直になってます

 

狛犬さんは岡崎なんだろうか?

この少し黄色い砂岩は神戸とか明石ぐらいまでによくありますね

 

なかなかいい造りの狛犬さんです

雰囲気は完全に明治の終りですね

 

阿形も少し浪速の顔が残ってる気がする… 

岡崎なんだけどこの形好き…

明治の終りから昭和10年代の初めまでこの形いますね~

 

明治40年の奉納でした~  まだ完品じゃない?

阪神淡路大震災の時に鳥居や拝殿あたり倒壊したはずです

無事だったんですね~

 

お酒の奉納が思ったより少ないな~

 

摂社とかは明日アップします~