みなさんこんばんは~(*^_^*)

実はこの記事…なんだか全部消えてるんです

まあ一度書いたから何となくもう1回書くの面倒だよね~

 

大阪 天王寺の四天王寺です 誰もが疑わない 寺院です

聖徳太子建立7大寺院としても有名です

 

この四天王寺、法隆寺、広隆寺、中宮寺、橘寺、法起寺、葛木寺です

 

話はさかのぼります…飛鳥時代 丁未の乱です

蘇我軍(仏教派)と物部軍(神道派)との戦いです

聖徳太子はもちろん仏教推進蘇我派この戦いに勝利すれば

四天王寺をたてて祀りますと祈願した… 四天王を?

 

何が不思議と思いますがなぜ四天王なんでしょうか? 

寺院推奨でしょ?法隆寺なら釈迦如来ですよ

 

ということでここは神仏の戦いの最終的にはどちらにも配慮した

寺院という形の神社だったという結論でいかがでしょうか?

四天王の上が帝釈天 帝釈天というと武神? 神…

武神というと素戔嗚もそうですね  

 

ここが聖徳太子を祀る聖霊院  

 

本堂の蟇股は眠り猫  争わずのんびり寝ている姿は聖徳太子の姿勢だったのでしょうか?

 

本堂…

そしてこの戦いに負けた物部守屋はどうなったのでしょうか? もちろん衰退して

誰もいなくなったというのが通常ですが…違うんです

 

この四天王寺を管理する一族というか子孫は物部守屋側の子孫ということ…

これも不思議な話

 

西側の門も眠り猫  

そしてその秘密のもう一つもこの奥です

 

この長い立ち入り禁止の先に…左のオレンジ色の祠 ここが物部守屋を祀った祠です

なぜ? 守屋の子孫だけがお参りできる場所でもあるのです  

 

そのすぐ隣には聖徳太子の愛馬黒駒を祀っている そんな大切な場所のすぐ隣に

敵側の人間の祠…いろいろ不思議でしょ?

 

絵馬は黒駒です

 

もう四天王寺が寺院じゃなくて神社だったんじゃないって言ってもいいでしょ?