子守りで変な時間に寝て、変な時間に目が覚める関係か、けだるい。案外に睡眠時間は5時間くらいで良さげな体質かもね。

そんな感じで、ゆるめのスタートしていたら、いきなりお叱りの電話。なんのこと?と思った、ある人の勘違いか、茶化したかわからない発言のせいで、どうにも子守りでお休みしているのに、お遊び的出張と解釈され、それでお怒りの電話。とばっちりもいいところ(笑)

しかし、その際に言われた仕事を振りすぎというのも当たらずも遠からず。そりゃ、出産で忙しくなることとかとか考慮して、振っていたのが、事情しらなければ、振ってるだけに見えたやも。しかし、怒る前に違うかもと思うことが重要だけと。やれやれ。

それにしても、間違えていた時は素直に謝ればいいのに、理屈をつけて自己正当化するような自尊心はいらんなぁ、、、とか思っていたが、全ては原因があるから、結果がある。そんな事を思い出した。

少なくとも自分がそのようなことをすることになった時はしないようにしよう。そういう学びの機会になったと感謝しとくかな。

今日のこうちゃん
怒りをもつことも重要。もちろん、私憤ではなく、公憤である。公の目でみた怒りを内に秘めることは原動力として重要である。

考察
加藤周一先生がたしか、戦慄くような怒りを持つことが大事と言われていた。それこそが人が人としての証を見つけることになるのかもしれない。感情的なるのはあまりよいことではない。ただし、それをも乗り越えた義憤ともいえるもの。そういうことが大事なのであろう。


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