ある上司からいただいた本。内容は戦国時代の武将達を現代のビジネスマンに置き換えたら?みたいな内容。

今日、ほぅ、と思う内容にあたった。

ある武将の家来が命懸けの仕事をしたが、褒美にギャップがあり、不平を漏らした。主君は殺せと命令するほど激怒。家来は遁走。
十数年後二人は出会い、また主君と家来の関係に戻るが、その時の給料は格別に高いものだった。

主君に理由を尋ねると『内容はどうであれ、褒美を決めるのは主君の仕事だ。勘違いするな』
との言葉。

働き成果を出すのは家来の仕事。
それを評価するのが主君の仕事。
つまり、いくら家来がこれだけ頑張ったので、このくらいの褒美と思おうとも、それは家来の仕事ではない。そこは割りきる必要がある、と。

いささか乱暴な話だが、肚に落ちるものもあった。

半端な造りではあるが、成果主義システムのなかにいると、評価に対する不満の声を少なからず聞く。しかし、この話はそんな自分の専権でないことに気をつかうのであれば、突き抜けられるように努力することにその気を傾けよ、ということであろう。

たまにぶれることはあるものの、自分の中では今の会社人生の柱でもある。評価など考えず、最善最上を目指そうと。評価を考えることは利己的に向いていることであり、利己的でいい仕事なんぞできない。

なんだか、理念を裏付けされたようで嬉しかった。当たり前のようではあるけどね。

今日のこうちゃん
宣伝といえば、儲けに応じて増やしたり、減したりするものではない。この商品は良いという確信とこれは世の中の役に立つから是非とも伝えねばなるという義務感に裏付けされ、儲けなどではなく、広める目的に応じて未来の投資をすべきものである。

考察
どうも、宣伝は水物、という印象が強い。それは経験的なものかもしれない。しかし、このような考えをみて、ハッとする。水物なのは、伝えたいという熱意がなかったからではないだろうか、、、そう考えてみると、ジョブスが広告にこだわった、というのが肚落ちした。あれは、モウケヨウとかいうものではない。確信的に革新的な製品ができた。これは伝えねばならぬ、そんな熱意が原動力だったのだろう。





Android携帯からの投稿