10/9(月)の朝は雨
この日は帰るまで、終日雨でした
6時に起きて、7時に出発
アルバムはミントコンディション
昨夜入善ロカビリークラブの慎太郎さんが「大川小学校」を見て来たと言ってたので、自分も見てから帰ろうと思います
大きな駐車場があり、建物が見えます
全く予備知識もなく、聞いた名前を頼りに来てみたのですが、近づくにつれ、ここが津波の被害に遭った建物をそのまま残しているのだと分かり、胸が締め付けられる思いが強くなりました
この石碑を見た瞬間から涙が溢れ、ここに居る間、涙が止まりませんでした![]()
校舎のデザインは可愛いらしく、新そうに見えます。
子供達からも親しまれた校舎だった事でしょう。
2018年に廃校が決まり、別の小学校との統合がなされ、この建物は震災遺構として残される事になったそうです。
恐らくここは教室だったのでしょう。
扉や壁が消失してる様子が分かります
建物の周りは低いフェンスで仕切られ、中に入る事は出来ませんが、かなり近くまで寄る事は出来ます
この石碑に被災の状況が書かれています
直接の被害は、北上川を逆流した津波から受けた物で、海の方角とは別の方角から流れて来た様子が示されています
ここでは当時学校に残っていた78名のうち74名が津波に飲まれ、4人が未だ行方不明です![]()
地震から、津波が来るまでに50分の時間がありました。山に避難する事を主張した教師もいましたが、平地を移動する事になり、その途中で北上川を逆流して来た津波が正面から押し寄せ、それに飲まれてしまった様です![]()
どれほどの恐怖だった事でしょう![]()
往時の渡り廊下の写真
こちら側からの津波に襲われ、向こう側に倒れています。こちらの背に北上川があります。
裏山の土手に白いものが見えます。この高さを意識して下さい。
津波到達点です。高さは8mにも及びました。
卒業制作の壁画が美しく残っているのが逆に悲しい。
資料館が併設されていますが、朝早かったため開いてません
しかし学校の周りにこんなに多くの家があり、町が形成されていた事が分かります
下の写真が現在のもので、家が一軒も残ってない事が分かるでしょうか?
学校も被災前と被災後の違い。
手前の丸い建物は完全に失われています
自分は2011年に大ショックを受けて、以来イベントではその都度大きな災害が起きた時に募金先が変わることもありますが、基本的に福島県と宮城県の震災で親を失った子供達の為の募金を継続して行っています
ウイルス騒動後客が半減してしまい、イベントの存続も危ぶまれる状況下ではありますが、当時感じた気持ちを新たに、これからも何らかの形で支援は続けていかねばならないと思います。
決して物見遊山で来た訳ではなく、自分自身の覚悟を再確認する為にやって来ました。






























