酒:ホワイトホース(ハイボール

 

 

今日はナスのスパゲッティにした。

ベースはトマト。カットトマトの缶詰を使ったけど、ホールの方が好きかも。

 

ローストポークを添えたが、ポテサラが欲しくなった。

 

 

今日は新刊の話。

どの分野でもそうだが、好きな作家だとか、尊敬する人ができるものだ。

 

宗教においてもそうだ。

 

ちなみに、人によっては所属している宗派の教義に則っているようで、

別の宗派の教義に擦り寄るような人がいる。

 

というのも、

「こういう考えが私の経験に適している」

というようなことで理解をしていることがあるからだ。

 

自分が信仰している教義に則っているかどうかは二の次だったりする。

 

宗教観というのは、現実の生活における精神的な道理を示すものであって、

それが流布されるところに共同体を形成し、生活範囲を拡大する。

そのため、自分の生活範囲における共同体で問題がない範囲であれば、

どんな宗教哲学も受け入れうるのである。

 

輪廻や霊魂についてが最たる例だ。

あるいは如来蔵もそうだろう。

または、宗教観を現実に強く引き合わせる場合もある。

私はそれこそ顛倒しているような気がするのだが、ここでは強く言わない。

 

文章にある精神に感化されるのは悪いことだと一概に言えないが、

自分なりに教義と照らし合わさなければならないことが多いし、

そうしなければならないところに教義理解の難しさがある。

 

 

とまぁ、色々並べたが、タイトルにあるように、

新刊が出たからと言って、こうしたことを判断するには、

本を買う時にはこれらのことがわからない、

ということだ。

 

よく講演を見たり聞いたりするが、

それも私にとっては、誰の本を読むのが私にとってよいかという、

判断材料にしたいという気持ちがあってのことが多い。

 

読み終わってすぐにゴミになる本が多いのはなんとかならないものか。

 

飲み終わったので、今日はここまで。