ムツゴロウさんに感謝 | てらいち 、です

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ムツゴロウさんこと、畑正憲さんが亡くなったとのこと。

 

 

私が、ムツゴロウさんに接したのは、

テレビで見るよりも、著作を読むことであった。

 

テレビタレントとしてではなく、作家と認識している。

 

 

ムツゴロウさんの著作にはじめて接したのは

高校3年生の時。

 

授業が、もう消化試合みたいになっていたとき。

 

確か国語の先生が「1時間、図書室で本を読め」と、なんとも自由な授業の時があって。

 

そのとき、たまたま手に取って読んだのが畑正憲著、

「ムツゴロウの博物志」

だった。

 

畑さん、もうムツゴロウさんとして、有名になっていたと思う。

それで読む気になったのだと思う。

 

ムツゴロウ

 

この文字を目にして図書室の本棚から引っ張り出してみた。

 

最初の話から面白くて読み進めた。

しかし1時間で全部は読み切らなくて。

 

続きを読もうと、貸し出してもらうのではなく、

文庫本を買ったはずなんだが・・・

 

今の私の本棚に見当たらない。

誰かに貸して未返却で、お互い忘れているのか。

 

それとも、私がどこかへ置いて忘れているのか・・・

 

 

「ムツゴロウの博物志」をきっかけにして、

受験浪人、大学生と、ムツゴロウシリーズはよく読んだ。

 

今の本棚にはムツゴロウシリーズを含め、畑さんの本が約30冊。

上に横倒しにしてあるのは畑さんの本ではないのだが、並んでいるのは畑さんの本だ。

他にも、ゴタゴタした机の上に紛れたものもあるだろう。

 

「ムツゴロウの博物志」には続編、続々編がある。

これは本棚にあった。

 

久しぶりに開いてみたのだが、さすがに40年の年月を感じる状態である。

 

 

今の文庫本に比べると、字が小さい。

 

よくこんな小さな字を読んでいたと思う。

この当時は、文庫本にしても新聞にしても文字は小さかった。

 

今の文庫本は、ページ数は増えてしまうが、字が大きくなって私のように老眼の者に対して良心的だと感じている。

 

 

大学へ通い始めて、家から片道約1時間、電車に揺られているときが読書タイムであった。

 

しかし、揺れる電車での読書は目に良くない。

そのために近眼になった。

 

大学の講義で、先生が黒板に書く数式で、「-」が「=」に見えたりして、計算がとっ散らかったりしたこともあった。

 

 

 

さて、当時を思い出しつつ、もう一度ページをめくってみる。

 

最初の「博物志」がなくて残念であるが、「続 博物志」を。

 

今度は老眼鏡なしでは読めない。

 

そうそう、これがムツゴロウさんの文体だったナァ。

 

懐かしい。

 

時代も感じる。

 

新型コロナで誰もが「ウイルス」という名を知るようになったが、この本では「ビールス」と書いてある。

 

昔は、こう言ったのだ。

理科の教科書だってそう書いてあったはずである。

 

ウイルスもビールスも、VIRUSの発音を日本語にしたモノとしては、はなはだ中途半端であると思う。

ま、それは現在の私の感想だが。

 

今とは時勢が異なる、と感じるのは他にもある。

 

沖縄で潜水し、温泉を発見した話では、温泉の権利が30万ドル、1億円だ、と書いてある。

 

単純計算で1ドルが約333円。

 

そう、昔はこんなレートだった。

固定相場制では1ドル360円であった。

 

それが変動相場になり、1時期は1ドル80円台のころもあって、今では130円台。

 

今度は円安になっていくのか?

すると昔の日米の経済関係に戻るのかな?

 

改めて読んでみると、そんな40年以上の時の流れも感じる。

 

 

 

 

さて、話を戻して、高3の時に畑さんの本を読んだことが、私にとってどんな意味を持つのか。

 

それは人生の方向性を決めたものだったのだ。

 

もともと、理科や数学は好きな方だったが、高校になってから話が難しくなると授業に着いていくのがやっとになってしまった。

 

それは、今にして思えば、中学生までの感覚的にとらえていてもなんとか理解できたモノが、高校ではレベルが一段上がっているのに気づけなかったから、といえるだろう。

 

そんなことだから、理系の大学へ進学するってこの成績では無理かなぁ、といって文系の大学に自分のやっていけるものがあるかなぁ、とグチグチ考えて結論が出せずにいた。

 

が、ムツゴロウさんの本、文章が、私の背中を押した。

 

お前さぁ、理科が面白いの分かってて、なんで理系の大学行かないの?

 

そうは書いてなかった。

 

しかし、畑さんが生き物のこと、畑さんが生き物と接することを、これでもかというくらい楽しそうに書いている文章に接していくうちに、私がこの方向、理系に進まないのはオカシイよ、と強く感じるようになったのだった。

 

結局のところ、どちらに進むべきか、答えは自分の中にあったのだが、決断させてくれたのは畑さんであったのだ。

 

文系か理系か、などとフラフラしていたために、高校生の期間中の受験対策は出遅れていたので、浪人することとなったのだが、予備校はハッキリと理系コースを選んで受験勉強していくこととなった。

 

予備校で、物理の先生との出会いがあって、生物系でなく物理を学んでいくことになるのだが。

 

ただ、理科、自然科学を学ぶ、身につける、そういう意志をハッキリ持てたのは畑さんの本のお陰である。

 

そして、畑さんの文章には、活力がある。元気になれる。

 

たいへんエネルギッシュである。

それは畑さんの生きる姿勢であると思う。

 

畑さんの著書を読むことで、私は活力を分けていただいたと思う。

 

とはいえ、畑さんのようにエネルギッシュに、一度始めたら突き進む、というところまでは真似できないが。

 

いずれにしても、卒業が近づいていた高校生の私に、人生の方向性を気づかせてくれたのがムツゴロウさんである。

 

いま、思い返してみても、

本を読み返してみても、

感謝の念がわきあがる。

 

ありがとうございました。

 

いつかは、この日が来るかとは薄々考えていましたが、

その日が本当に訪れるとは・・・

 

これからは、

ムツゴロウさんが居ない世の中となってしまったこと、

その時代を私たちは生きねばならぬこと、残念でなりません。

 

ご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

合掌