これはおそらく母がこまめに

話してくれていたから

残っていた記憶だと思います


あとホームビデオ


父の事が大好きで

お腹に乗って

髭をじゃりじゃりしていた記憶が

あります


母は

「パパはママのものー」

といって抱きついており


それに対抗心を持った私が

「パパは私のものー」

と言って抱きついていた記憶


おそらく、

母がそう言った事を意識的に

してくれていたと思います

父とのコミュニケーションは

母のおかげで成り立っていたと

今ならわかります


だって父は愛情表現というものが

わからない人で

子供とどう接したら良いか

本当にしらないようです

父と何か二人でしたなんて記憶はなく、

母が常に先回りして

これ子供と一緒にしたら?

とか言って促していたようです


母はとても愛情深い人なので

スキンシップの重要性を

昔きいた記憶があります


それと障害についての差別については

すごい嫌悪感を持っています

母の障害者への教育は

私の今後の人生において

心の豊かさを学んだ気がします



父は

暴力DV以外全てしていた祖父と

あの時代に女が働いていた祖母

で育っているためか

愛情を受けて育っていないのかも

しれない

正確にいえば、

祖母は忙し過ぎたのかもしれない

祖父は本当になにもしない人

祖母は入浴後の体拭きから

食事、寝床準備等、

きっと全てこなしていたのではないか

と思います

子供に時間をかけれなかったのではっと

思います


祖母は一時期、宗教に助けを求めて

しまっていたと言っていました

今思えば、やってられなかったと

本人がいっており、

あの時代に働きながらは

そうとうキツかったと思います


祖母はいいとこ育ちなので、

結婚して全ての財産を

祖父の親戚に取られたそうです

歳をとって、

祖母と話す時があると、

必ずこの話をされます

きっと辛かった思い出で

何度言っても気が済まない

恨み的なものだと感じます