「息をするように嘘をつく」という言葉があるようだ。モラ夫はまさにそれだと思う。
嘘をつく「場合に」抵抗がないだけでなく、そこで嘘をつく必然性が私からはみえない。これが本当に抵抗がないということをあらわしている。
これはいったい何なのかと考えたのだが、前から言っているように事実に対する謙虚さがない。事実であるか事実でないかの境目の壁が異様に低い。もちろん自分の都合で。
すべてに対して事実とそうでないことの区別があいまいだと日常生活が営めないと思うのだが、モラ夫は自分の都合で世界が構築されているように感じる。
そして面白いことに、私はこのときの嘘で、あろうことかダメージを受けてしまった。
人は、相手を信じていたのに裏切られたという場合じゃなくても、実害がなくても、嘘をつかれるとダメージを受けるものなんだな。発見。
あ、心配しないでね。ダメージつっても何がどうなったわけじゃないから。