
対談後記で前田日明はこう書いていた。「明治以降、日本が一番に直面したのは東洋の精神性と西洋の合理性の融合だと思う。この試行錯誤の途中で不幸にも日本は西洋世界との全面戦争に突入してしまった。そしてその融合の軋轢が露呈した。(略)坂井さんはこの軋轢の極限だった大東亜戦争の最前線の戦闘員として、その中で死力を尽し行動した。それがリアリストの目を養ったと思う。この死線を生き抜いた人の価値をイデオロギーの範疇で見るのでなく、ニュートラルの立場に立って耳を傾けるべきだ」。
まさに前田日明の言う通りである。坂井三郎は戦争のすべてを体の奥で体験した男だった。『大空のサムライ』は次の文章で終わっている。「私は急に、人間の生命なんて、まことにちっぽけな無価値なもののように思えてきた。(略)いまこうして、内地の冷たい水を腹いっぱい飲んでいる自分たちと、四時間前に別れてきた硫黄島の戦友たち、末期の水さえ充分に飲めない戦友たちとの、運命のひらきの大きさを、どう考えたらいいのか。私は迷うばかりだった」。このサムライの最後の迷いは、バカでかい。