ども、異化の状態であるがままの自身が受け入れられ統合されることを目指している、軽度障害者でハイブリッドな身体を持つ多重身体者のの僕です。

 

すっかり秋めいてまいりました。

南国・鹿児島でも、時間帯によっては、長袖シャツを着てさらにジャケットなどを羽織らなくては、「涼しい」を(ちょっとばかり)通り過ぎて、「寒い」の世界に(ちょっとばかり)触れてしまったような気候になりました。

だって、10月も下旬になるんですもんね。

コロナ元年は例年以上に時間の進み方が早いように感じます。

 

さて、今日は、鹿児島市における障害者福祉についてのとある事業について、思うところをつぶやいてみようと思います(モヤモヤを吐き出さずにはいられなくて…)。

その事業とは、このブログのタイトルに書いた「かごしま市チャレンジド大賞」というものです。

 

まず、「チャレンジド」という言葉をご存じでしょうか。

障害者のことを示す英語なのですが、詳しくは、僕が「チャレンジド 障害者」というワードでググってトップに記載された以下の文言を勝手に引用しますので、そちらをご覧ください。

>「チャレンジド」とは、障害を持っている人をあらわす、アメリカの言葉です。正しくは、「ザ・チャレンジド(The Challenged)」といいます。
>「挑戦すべき課題や才能を与えられた人々」という意味がこめられています。「すべての人間は、生まれながらに自分の課題に向き合う力が持っている。しかも、その課題が大きければ大きいほど、向き合う力をたくさん持っている」という哲学に基づいています。

 

僕は、上記の考え方を素直に受け入れられないのですが(だって、「その課題が大きければ大きいほど、向き合う力をたくさん持っている」なんて余計なお世話という感じすらするからです。当事者にとっては(少なくとも僕にとっては)「ほっとけ」といいたくなるのではないでしょうか)、とにかく、障害者のことをそういう単語で表すこともあるのは事実です。

 

まあ、“障害をもった人”の表記については別の機会に譲るとして(“鹿児島市”をわざわざひらがなで表すことにも思うところがあったりなかったりですが、あんまり屁理屈をこいてるとますます人から嫌われそうなので、これは止めときます)、「かごしま市チャレンジド大賞」という事業について思うところを。

 

ネットを探ってると、この事業の目的や事業概要について説明した鹿児島市の書類に出会いました。

それを引用すると、

>目   的:障害者の福祉についての関心と理解を深めるとともに、障害者の社会参加と自立支援の促進を図る。

>事業概要:様々な分野において、前向きに取り組み輝いている障害者個人や団体及び障害者の方々を積極的に支援している個人等を表彰する。

ことらしいのですが、僕はこの目的と事業概要を読んだら、以前、このブログにて取り上げた、“職場で活躍する”障害者を県が表彰することに違和感を覚えた、ということを思い出しました。

このブログです↓

 

そうなんです、構造として、“健常者様が頑張っている障害者をほめて遣わそう”、が見え隠れするのです。

もちろん、鹿児島市には何らの悪意はないでしょう。

ということで、ここにも「悪気ない善意」があるわけですが、障害がある「にもかかわらず」がんばってる、の「にもかかわらず」が肝で、これは(悪意が含まれているか否かとは無関係に)差別にもなりかねないように思います。

“障害があるとふつうは頑張れないのに”この人は頑張ってるから表彰しよう、というようなニュアンスがすでに差別的なわけです。

その人はただ一人の人間としてやるべきことをやっているだけなのに、“障害を負っているばかりに”表彰される、というわけですね。

障害の有無という差異を特別視している(=公正ではない)時点で、僕が実現を目指している「差異ある公正な社会」とはベクトルが反対方向であるような気がします。

 

以上、ともすれば相当ひねくれた見方ですが、「非障害者と障害者」とか、そこに存在する「差別」とか、「そもそも障害をどのように見るか」、などにかかわってくるような気がします。

これはかなり大きいテーマだと思います。

すでに相当量の研究がなされているはずですね、機会を見付けて触れていきたいと思います。