急性腎炎になった時は、顔はすごくむくみ、尿は赤くそして濁っていた。高熱が下がり、だんだん意識がはっきりしても、その濁りはなかなか取れない。毎回しびんで母親が尿をとるたび、尿を明るい庭に向け、透かして濁りを確認するのだが、「まだ、濁ってるね。」「まだ、濁っている」…とつぶやくのだ。そのたびに、ぼくはただ悲しかった。母親を悲しませる自分が切なかった。早く濁りが取れないか、とそればかりを念じていた。

それがだんだん濁りが薄くなり、の尿の色が澄んでくると、母は「もう少し、もう少しだね」と言って嬉しそうになる。ぼくもそれを見て、回復を実感するのだった。


結局、小学校の3年生の時は、半年くらい?体育は見学していた。いろいろ思い出してみると、その後も毎年、よく扁桃腺を腫らして何度かたんぱくが出た。そのたびに普段から塩分を控えていた食事をさらに塩分を削った。ほとんどの場合すぐにたんぱく尿は風邪の回復とともに無くなった。

それで、それらは腎炎とは言われなかった。ただ風邪やインフルエンザになるたびに、徹底した防御態勢をとったのだ。

しかし、いつもしびんを確認するあの瞬間が嫌だった。

濁ってないだろうか? いや、澄んでいてくれ!と祈るような気分にいつもになるのだ。(それは、いまでも同じだ)

そして、風邪をひくたび体育は見学させられたのだ。


こうして僕は大きなコンプレックスを持ってしまうことになる。

かつては、やたら元気な子だった。幼稚園でも、低学年でもガキ大将だった。

それが運動能力を失ってしまうと同時に、まったく変わってしまったのだ。

おとなしい子になってしまった、というか、その様にしか存在し得なくなったのだ。


成績はすべてが5、ただし体育だけが2だった。

なぜ2をとれたというと相撲だけが強かった、からだ。

ともかく、かけっこがとんでもなく遅くなった。球技もダメだった。


だから運動会がいやでいやでたまらない。今だって、大嫌いなのだ。

あんなものは世の中からなくなってもらいたいと、そんな風に思っていた。