大学時代の彼女がオフィスに来た。

教え子を連れて。

うちの仕事の話をいろいろしてやってくれないかという事で。


ちょうど40年前、僕らは大学紛争の最中で出会った。

彼女は2歳年上の3年生。俺はぴかぴかの一年生だった。

当時の彼女は、その時代としては驚くほどセクシーなファッションで、胸の豊かなふくらみと谷間を見せ付けるような服を着ていた。そして、それでいて激烈なあじ演説をぶつ女闘士であった。ゲバルト・ローザとか、いやジャンヌ・ダルクみたいだと、呼ばれていた。

当時、東大全共闘にゲバルト・ローザとよばれる女闘士いたが、各大学にも似たようなあだ名の子はいたものだった。

僕たちは大学解体を叫んでバリケードをつくり、大学を封鎖した。

そんな時代に、二人は恋に落ちた。

二人でバリケードを抜け出し、映画を見に行き日比谷公園に遊んだ。

しかしそんな関係も一瞬に終わりを告げる。

あっという間にそのバリケードは破壊され私が逮捕されたのだった。


私たちの闘争は1年、2年でいやおうもなく、収束していくが、同じ全共闘でも、院生や3・4年生は、それでも大学や社会との折り合いをつけ、卒業し、さまざまな企業に就職をしていった。そこで、1年生・2年生とは身の処し方に大きな齟齬が生じ始めていた。

一年生・二年生は大学解体を真面目に受け取って闘争に参加したものだから、その矛先を収める場所をより過激な闘争の中にしか見出せなかったのだ。

結局、ほとんど単位をとっていた彼女は1年か2年留年して、悩みに悩んで卒業するh方を選択する。

ついでに大学院も出て、ついに大学教授となった。

「教える」「教えられる」関係を根本から見直して教育を考えたい。彼女の選択だった。


私は一年生の前期に中執の役員になり、すぐ全共闘の活動に突入したため、レポートを2本書いただけだった。つまり、そのレポートが通って4単位である。

バリケード撤去と同時に逮捕され、停学処分の対象者となり、結局、大学には行くものの活動を続け結局そのまま除籍処分となった。そしてその後も社会との折り合いも悪く、自ら起業していかねばならなかった。

しかしながら私も結局は30年たって改めて大学院を出て、時々いろいろなところで講義なども行うようになった。思えば、あの時代の「教える」」「教えられる」関係そのものに、私も未だこだわっているのだ。


久々に見る彼女、感性も話し方も変ってない。

彼女に言わせれば私も声の調子も雰囲気も変ってないというのだ。

あの同じ時代を共有しているからなのだろうか。


ずいぶん遠くまで来たような感じがするが、その実あの時代を中心にして周りをくるくる回っているような気がする。

したたかにはなったけどね。