北海道どこでも推参! 周知徹平がゆく -83ページ目

北海道どこでも推参! 周知徹平がゆく

腰は軽いがビビリの道産子徹平が、北海道にまつわるいろんな話題を独自の切り口で語っていく。歴史好きなので「ワシが子供のころは」と言った話がほとんどで、流行には全くついていけていない。ブログを書く事で認知症を予防しようと考えている男のブログ。

山は白銀 朝日を浴びて

すべるスキーの
風きるはやさ  ⛷
とぶは粉雪か 舞い立つ霧か
おおお この身も
かけるよかける⛷

真一文字に 身をおどらせて
さっととび越す
飛鳥の翼⛷
ぐんとせまるは 麓か谷か
おおお 楽しや
手練の飛躍   ⛷

風をつんざき 左へ右へ
とべばおどれば
流れる斜面   ⛷
空はみどりよ 大地は白よ
おおお あの丘
招くよ招く

懐かしい😬やまはしろがね〜
 



小学校唱歌

「スキー」である。



市内の合唱団の子供達が
歌っとった。

お願いあらためて聴くと軽快ないい歌じゃ♪



しかしなあ、今の小学生
「飛鳥(ひちょう)の翼」や⛷
「手練(しゅれん)の飛躍」の🏂
意味がわかるかの
チューわかったら奇跡じゃ




この曲を昭和17年に作詞したのは
時雨 音羽 (しぐれ おとわ/1898-1980)である。


時雨 音羽は明治31年利尻町沓形字新湊に生まれ。新湊小学校・沓形小学校高等科と卒業して沓形村役場に勤めていたが、大正7年頃に東京に出て、日本大学法科に検定で合格。卒業後、大蔵省主税局に勤めた。

大正14年大衆誌『キング』に「朝日をあびて(後の出船の港)」を掲載。これをきっかけとしてレコード会社にスカウトされ、レコード界草創期の流行作詞家となった。文部省歌「スキー」は昭和17年に制作された(作曲:平井康三郎)


昭和36年、フラック永井の「君恋し」が第3回レコード大賞を受け、ポピュラーのスタンダード・ナンバーとなった。

沓形岬には「出船の港」の詩碑が建てられ、昭和52年、利尻町名誉町民となったが昭和55年「じん不全」で他界。作詞は約1500編といわれている。


沓形岬の詩碑の前で挨拶する時雨音羽さん
            〈画像・本文とも利尻町HPより引用〉


利尻町か😬

ということは「山」は


利尻山か😬意外

利尻町にはスキー場
は一つしかない。

天望山スキー場だ。
頂上からは日本海が一望でき、
礼文島も見える。
この曲には時雨氏の
故郷・利尻への想いが
込められている。

〈利尻島ポータルサイト りしぷらより画像引用〉



ワシはてっきり長野県の
野沢温泉スキー場あたりをイメージして作られた曲と思っていた


よし!😬そうと分かれば

利尻島でスキー⛷やったるで



山は白銀 朝日を浴びて〜じゃ😬♪
すべるスキーの
風きるは〜や〜さ〜♪じゃ😬



よし!😬やるで




滑降法はもちろん!

ボーゲン
じゃ😬





おしまい🏂😳