「翔ちゃん、眠かったらホテル帰ってもいいよ?
俺、一人でも全然平気だよ?」
竿をチョイチョイ動かしながら、智が困った顔で笑う。
ホテルの近くの岩場は、少し寒いけど、朝の陽ざしが気持ちいい。
「いや、大丈夫。」
俺も智に倣って竿をチョイと動かす。
そんな俺を心配そうに見ながら、智が竿をグイッとやる。
せっかくの二人っきりの旅行なのに、俺はなんで智にあんな顔させてんだ!
はぁと溜め息と同時に睡魔が襲ってくる。
グワンと頭が揺れ、ハッとして小刻みに顔を振る。
そう、俺は昨日、一睡もできなかった。
いつ言う?
今か、もう少し様子を見るか?
メシの最中に言うのもな。
男同士でもムードって大事じゃね?
なんて思っていたら、夕飯を食べ終え、シャワーを浴びて、
お互いベッドの上でスマホを弄っていた。
全くタイミングがわからない。
こんな家にいるのと変わらないダラダラした雰囲気で、どう言えばいいって言うんだよ!
と思ったら、隣から智の寝息が聞こえて来た。
苦節10年。
ずっと固い鍵を掛け、誰にも知られず大事に大事にしてきた俺の気持ちに終止符を打つ!
その覚悟で来たのに。
気持ち良さげな寝息を聞きながら、俺も目をつぶってみたけど……。
瞼に浮かぶのは柔らかい寝息を吐く智の唇だとか、
無防備に腕を上げて寝る智の白い二の腕だとか……。
シーツの音がする度に隣を見ると、ふしだらなくらい足を広げた智とか、
筋肉質なふくらはぎを掻く智の指だとか、捲れ上がったTシャツから覗く腹筋だとか。
見慣れているはずなのに、二人っきりでホテルだと思うと、気になって寝られない。
子供の頃は一緒の部屋で寝ていた。
でも、智が中学校に上がる頃、別々の部屋になって以来、
智の寝姿をこんなに間近で見ることはなくなった。
こっそり……いや、正確にはこっそりではなく、用事があって……、
もとい、用事を作って智の部屋に入って行ったことはあるけど、
見ちゃいけないような気がしてすぐに部屋から出て行った。
兄の部屋に行って寝姿を眺めるなんて変態かストーカー!
もちろん、智のことを兄だなんて思ったことはない。
初めて保育園で会った時からずっと変わらない。
戸籍上は兄弟になったとしても、この気持ちは家族に対するものとは違う。
そう、大事に大事に宝箱にしまって、鍵を掛けてきたんだから!
でもそれも限界。
宝箱の中だって、いっぱいに膨れ上がったら鍵だって壊れる。
そんなこと、小学生の時に水蒸気の実験で経験済み。
火災の時、水蒸気爆発の方が怖いって、専門家だって言ってる。
なのにこの歳になるまで気づかなかった俺は、本当にバカ。
もう、爆発寸前でどうにかなりそうで!
寝ている智に……キスして気付くなんて!
しかもリビングで!
そんな危ないこと、俺の性格上あり得ないのに!
危うくオヤジにバレそうになって。
いや、きっとバレてた。
オヤジは俺の気持ちに気付いてた。
そのオヤジが俺に与えてくれた大チャンス!
オヤジは俺の背中を押してくれた。
その優しさを、俺は絶対無碍(むげ)にはしない!
例え玉砕したってかまうもんか!
いや、玉砕なんてしたくない。
したくないけど……。
チラッと智を見ると、口が尖ってる。
真剣に、何かに集中してる時の智の顔。
竿の先がピクピクと動いてる。
「翔ちゃん、食った!」
「お、おぅ!」
俺もなぜか緊張して竿の先に集中する。
智は……俺のことは嫌いじゃないと思う。
どちらかと言えば好きなんじゃないかとも思う。
でもそれがどういう感情なのかは掴めてない。
俺らは男同士で兄弟で。
いろいろ言い訳できる素材がたくさんあるから。
智がリールを巻いていく。
波の間に黒い魚影が見え隠れする。
「お、いたっ!」
「翔ちゃん、タモ!タモ取って!」
たも?……ああ、タモ!
俺は智が用意した網を手に智の近くで待機する。
「あ~、元気だけど、小さいか。」
智が糸の先についた魚を揺らして自分の方へ寄せる。
元気に水しぶきを上げる姿はまだ小さい。
「これ、なんて魚?」
「ははは、翔ちゃんだって食べるじゃん、アジ!」
智は針から魚を取ると、そっと海に投げる。
「え?いいの?」
「だってまだ小さいし。大きくなったらまた釣ってやる!」
智は笑いながら、エサを針に着ける。
「翔ちゃんの、エサ付いてる?」
「あ、どうだろ?」
急いでリールを巻いて、針を見ると、キレイになくなってる。
「貸して。」
智が俺の針にもエサを付けてくれる。
ほらね?
智は優しい。
小さな魚にも俺にも。
たぶん、友達にも先生にもオヤジにも優しい。
誰にでも優しい智。
だから掴めない智の気持ち。
ねぇ?
俺に優しいのはなんで?
その優しさは他の人と同じ?
俺が弟だから優しいの?
違うよね?
ねぇ、俺のこと好き?
答えてよ、智!
頭の中の自分の言葉に顔が熱くなってくる。
想像しただけでこれじゃ……。
オヤジのくれたチャンス、本当にものにできるのか!?