どうしてこんなに素直になれるのだろう。
そう彼が思うほど、心の内を話す自分に驚く。
「じゃあきっと、その教授とはタイミングが合わないんだね。
ちょっと様子を見て、タイミングをずらしてみたら?」
店主の言葉に、なるほどとうなずく。
「俺、せっかちだったのかな。」
「そうだよぉ。」
店主が笑って、まとめた本を棚に戻す。
友達から何度せっかちだと言われてもそう思わなかった彼が、
店主の一言で納得してしまう。
店主の言葉には、そんな説得力があった。
彼はふと首を傾げて店主を見る。
「店主さんはどうして古本屋の店主なんて?」
駅の近くにあるわけでもない、チェーン店でもない、どう見ても流行ってそうもない古本屋。
そんな店で、店主のような若者が主をしているのが不思議でしかたなかった。
彼は、トントンと本をまとめ、店主を見上げる。
店主は彼を通り越え、店の奥に目をやり、その目を細める。
「時間が……欲しかったのかな。」
「時間?」
「自分が何なのか知りたかった。」
店主はふにゃりと笑い、店の奥にまた目を向ける。
「この店はじーちゃんの店でさ、小さい頃、店番するじーちゃんの隣で
ずっと絵を描いてた。」
「絵?」
「そう。」
店主は、すぐ脇にある棚の間の柱を見上げる。
その先には、立ち読み禁止の貼り紙がしてあり、
広げた本を手に怒られている男の子の絵が描かれている。
店主が小さい頃描いた絵だろうか。
彼に絵の教養はほとんどないが、わかりやすく描かれたその絵は、好感がもてると思った。
「じーちゃんが一昨年死んじゃって、ここを貸してもらったんだ。
古本の知識とか、全然ないんだけど。」
店主はクスリと笑って、また貼り紙を見上げる。
「じーちゃんの見よう見まねでやってきたけど、今月末で店も締める。」
「えっ……。」
驚いた彼に、店主がニコッと笑う。
「約束だから。2年って。」
「そうなんだ……。」
彼は束になった本を棚に上げ、店内を見渡す。
棚には最近流行りの漫画も並んでいる。
店主が買い取り、棚に並べる姿を想像する。
ぼったくられてもきっと気づかないだろうと思うと、その光景が微笑ましくも思える。
「働き始めちゃったらさ、何かを追いかけるのは難しい気がしない?」
「する。」
彼が即座に返答したのは、彼にとっても就職が念頭にあったからだろう。
「で、自分が何者かわかった?」
店主はゆっくり首を振る。
「わかんない。」
両手で喉を撫で、う~んと首を伸ばす。
「きっと一生わかんねぇ。」
目の前の本がなくなったのを確認して、店主が立ち上がる。
「それでいいんだよね。一生探し続ける。」
そういうものなのだろうと彼も思った。
彼自身も自分が何者なのか、全くわかっていなかった。
探そうとすら思っていなかった自分に、ショックと不安が沸いてくる。
そのことに気付き店主を見上げると、店主がふにゃりと笑う。
その笑顔が大丈夫だと言ってくれているようで、彼もぎこちない笑顔を返す。
ただ、それだけではなかったのだろう。
お爺さんと一緒に幼年期を過ごした店。
思い出をすぐに潰してしまうのは、この優しい青年には難しかったのかもしれない。
ここは20年前がタイムスリップしてきたように時間が止まっている。
ホコリ臭い匂いも、柱の貼り紙も。
「で、お客さん、何を取ろうとしてたの?」
そうだと彼は左の棚を見上げる。
「あの漫画の5巻か6巻……。」
彼はう~んと手を伸ばし、5巻をパラパラと捲っていく。
「あれ?おかしいな……。」
目当てのシーンは見当たらない。
5巻を手にしたまま、6巻を引き抜く。
6巻にも目当てのシーンは見つからない。
「記憶違いかな……。」
彼はそれでもページをゆっくり捲り続けた。
見つからないとわかってしまったら、
この店を出て行かなければならないような気がしたからだ。
できればもう少し、ここに居たいと思っていた。
この不思議な空間で、このふにゃりと笑う店主と一緒に。
もしかしたら夢なのかもしれないと、ふと思う。
それくらい、ここは居心地がよかったのだ。
店主が、んふふと笑って、奥から一冊の本を持って来る。
「これ、持ってって。」
「え?」
一瞬躊躇した彼の手に、店主は強引に本を押しつける。
押し付けられた本のタイトルをなぞるように撫でると、店主がふにゃりと笑う。
「あなたが探していた本はきっとそれ。」
彼は本など探していなかった。
探していたのは好きなシーンのある漫画だ。
けれど、渡された本を胸にすると、穏やかで安らいだ気持ちが広がっていく。
彼は嬉しかったのだ。
彼が欲していたのは、本当にこれだったのかもしれない。
本のタイトルをまじまじと見つめる。
「あなたの名前……。」
彼は勇気を振り絞って聞いてみた。
「おいら?おいらは……。」
長くなっちゃったので、「その後」として1話上げます。
その時にタイトルも変えるね~!