「上がれよ。」
玄関で立ち尽くす翔君にそう言って、部屋の明りを点ける。
翔君は何か考えるようにうつむいて靴を脱ぐ。
揺れる前髪越しの翔君は、付き合ってた頃と変わらない。
違うのは上げた時の顔。
嬉しそうににっこり笑って顔を上げてた翔君が、今は真剣な表情で俺を見る。
「何か飲む?」
「いや、いい。」
「じゃ、コーヒーでいいか。」
ポットに水を入れ、お湯を沸かす。
棚のインスタントを少し振ってみる。
人が来た時にしか使わないけど、ダメにはなってないだろ。
あの頃使ってたカップ。
一人暮らしを始めた時に、人が来たら使えって、
母ちゃんに押し付けられた5色セットのカップ。
翔君は決まって赤を使ってた。
俺は青。
二つ並べてコーヒーを淹れてると、何かがジワッと溢れてくる。
カップの中じゃなく、俺の中で。
キッチンカウンターから翔君を見ると、翔君はこっちを見ずに、じっとテレビを見つめてる。
点いてないテレビを。
ポットはすぐにお湯になり、コーヒーを持って翔君のいるリビングに向かう。
テーブルの前、ソファーを背もたれにする翔君から、少し離れてラグの上に胡坐をかく。
「はい。」
赤い方を翔君の前に置くと、今度はそれをじっと見つめる翔君。
「何も変わってないんだね。」
そう言いながらカップを手にする翔君が、やっと俺を見る。
ああ、そうだね。
俺と一緒で何も変わってない。
付き合ってる頃買ったカーテンも、少し大きくしたテレビも。
そうそう買い替えるものでもないしな。
「翔君ちは?変わった?」
「変わってないよ、何も……。」
そう言って、翔君はマグカップに口をつける。
「智がお土産って買ってきたクッションもまだある。」
「……取っといてくれたんだ。」
「何一つ、捨てられなかった……。全部思い出が詰まってるから。」
マグカップを置いた翔君が、俺に向き直る。
「聞かせてもらっていい?俺らが別れた理由。」
その真剣な瞳にドキッとして、目を合わせていられない。
視線を逸らした俺に、翔君が追い打ちをかける。
「智も……まだ俺のこと……忘れてないよね?
この部屋を見ればわかるよ。なんにも変わってない。
俺らが付き合ってた頃と。」
そうだよ。何も変わってない。
部屋も俺も翔君への気持ちも。
だから、今度はちゃんと聞かないと。
どうして翔君が俺に触れなくなったのか。
「先に聞いていい?」
「何を?」
俺は一息ついて翔君を見る。
「翔君が……俺に触れなくなった理由。」
翔君の目が一瞬見開かれて、すぐに視線を逸らされる。
「理由があるなら……聞きたい。」
理由がなかったとしたら、本当に俺に飽きたってことになる。
それなら、今度こそきっぱり諦められる。翔君のこと。
いや、諦めなきゃいけないだろ?
体が全てじゃないことはわかってる。
それでも、体の繋がりはやっぱり大事だ。
欲望も満足させてこそ恋愛。
俺達の体はまだその欲望を欲する年齢だ。
体だけの関係だからなんて、他の人と浮気されたら……あんまりにも惨めだ。
「智が……泣くから。」
翔君がつぶやくように言う。
「泣く……?」
泣いたことなんかあったか?
「苦しそうで……。」
苦しそう……?
いつ?
してる最中?
「ある日、気付いたんだ。それまでは自分の気持ち良さに……見えてなかった。
イク寸前、智はいつも苦しそうに眉間に皺を寄せ、涙を流してた。
聞けば必ず気持ちよかったって言ってくれたけど、優しい智だから……。」
「嘘突いてるって思ったってこと?」
翔君がコクリとうなずく。
「俺は……自分の快感の為に智に無理を強いてることに気付いたんだよ。
そりゃそうだよね?その為の器官じゃないんだから。
なのに、自分が気持ちいいからって、智に無理をさせてた。」
翔君は握った拳をもう片方の手で握り締める。
「Hする度に苦痛を強いるなら、しない方がいいんじゃないか。
そう思って……触れないようにしてた。」
「翔君……。」
翔君が自嘲気味に笑う。
「恋愛って、気持ちでしょ?
心が通じていれば、体の関係がなくたって……続けていける、そう思った。」
バカだ。
翔君は大バカだ!
「体の関係がなくなったら……続かなかったんだね。翔君の気持ちも。」
「続いてたよ、だから今、こんなに苦しいんじゃない!」
「でも……辛かった。
だから、何も聞かず、別れを受け入れたんだよね。」
翔君がサッと目を逸らす。
そりゃそうだよ。
俺は……体の関係がないことで、翔君の愛を疑い始めたんだから。
俺に飽きた、男の体じゃ満足できない。
そう思われてるんじゃないかって。
「翔君は呆れるくらい大バカだ。」
俺は翔君に手を伸ばす。