「……と言うわけで、今晩、浜に行かねばなりません。」
櫻井が、青菜のお浸しをそっと避けながら言う。
開けっ放しの障子から見える庭には、大人と子供の着物が並んで干してある。
日はまださほど高くはない。
温かな湯気の立つちゃぶ台の向こうから、雅紀が櫻井の青菜をじっと見ながら尋ねる。
「狐殿と一緒に行かれるのですか?」
背筋を正した雅紀は、14、5に見えるほどに成長した。
町を歩けば誰もが振り返るであろう整った面長の顔に、
まだ幼さの残るつぶらな瞳が、親しみやすさを感じさせるのだが、
今は、その瞳さえもキッと吊り上がり、厳しい表情を崩さない。
「ええ、そのつもりです。海が光るなど、初めて聞きますからね。
狐殿が一緒に行ってくれれば心強い。」
雅紀は青菜から目を離さずさらに聞く。
「明日は帝居に伺う日ですが、朝までに帰って来られますか?」
「その予定です。が、もう少し遅くなるかもしれませんな。
なにせ、光の正体がわかりませんから。」
櫻井の箸が味噌汁を掻き混ぜる。
それでも雅紀の視線は青菜に落ちたままだ。
「それではしばし、はるが一人になってしまいます。」
「大丈夫。一人でお留守番できます!
はるも来年には10歳(とう)になるんだから!」
はるが元気よくご飯を口に入れる。
「ぬははははは、10歳など赤子も同然!」
智が米粒を頬に付けながら笑う。
櫻井は、その米粒を人差し指で拭うと、自分の口に入れる。
「狐殿から見れば赤子も同然でしょうが、留守番できないほど小さくもありません。」
雅紀が櫻井の青菜の小鉢をそっと櫻井の茶碗に寄せる。
「この間、一人で山に入って襲われかけたのをお忘れですか?
逃げられたからよかったようなものの……。
私は寿命が縮みました。」
櫻井が小鉢をチラッと見、ふぅと溜め息をつく。
「忘れてはいません。けれど、いつまでも赤子のようにもしていられないでしょう?
はるも大きくなっています。
雅紀さんだって、このくらいの頃には一人で留守番してたではありませんか。」
「それはそうですが……。」
言いよどむ雅紀を、はるが見上げる。
大きな瞳は櫻井ゆずりか。
下がった眉と唇の形は智に似ている。
「雅紀兄ちゃん、大丈夫。一人で留守番できるよ?」
話す度にチラチラ見える八重歯が、幼さと力強さを同時に感じさせるのは智の血だろう。
「できないと思ってるわけじゃないよ。
でもね、はるはとっても可愛いから……心配なんだよ。」
雅紀の言葉に、はるが、ん?と首を傾げる。
「こんなに可愛かったら、誰だって攫いたくなっちゃうよ。
それこそ、男も女も人間も妖も!」
雅紀がはるにぎゅっと抱き着く。
「雅紀兄ちゃん……?」
雅紀の頬がはるの頬をすりすりする。
「これこれ、食事中ですよ?」
櫻井に窘(たしな)まれ、雅紀がはるから離れると、
智の前に青菜の小鉢が2つ並んでいるのが目に入る。
雅紀はキッと目尻を吊り上げ、小鉢を一つ取り上げる。
「とにかく、はるを一人にするのは反対です!」
トンと櫻井の前に小鉢を置き、櫻井を睨みつける。
その勢いに圧倒され、櫻井が困った顔で智を見ると、智が、がははと笑う。
「連れて行くわけにも行くまい?
できるだけ早く帰って来よう。
だからはるも家でじっとしているんだぞ。
洗濯も薬草取りもしなくていい。
家から出ずに待っていろ。」
智の言葉に、雅紀とはるが顔を見合わせる。
「……わかりました。」
はるが答えると、雅紀がその頭を撫でる。
「私もできるだけギリギリに出るからね。
洗濯は一緒に早めにやってしまおう。
そしたら家から出ずに待ってられるよ。」
「うん。」
はるが嬉しそうに笑う。
その顔を見て、また雅紀がはるに抱き着く。
「はる~!本当にはるは賢い!」
「雅紀兄ちゃ……。」
力の強い雅紀の腕の中で、苦しそうなはるが櫻井に向かって手を伸ばす。
そんな二人を前に、櫻井と智が顔を見合わせ、クスクス笑う。
さりげなく、櫻井の前にある青菜の小鉢を智が取り上げる。
とたん、雅紀の動きが止まる。
「ダメです!翔さんに食べさせないと!」
雅紀はすばやく智の前の小鉢を取り上げ、櫻井の前に置く。
いたずらが見つかった子供のように、また顔を見合わせた二人が、
今度は大きな声を上げて笑う。
その声に驚いた小鳥たちが、庭から一斉に飛び立った。
次で終われるかな~(笑)
はるの歳は数え歳~。
来年10歳なので、今は8歳くらい。