大野の近くまで行くと、二宮は辺りを見回す。
先ほどの男達の姿はない。
頬と額に痣を作り、唇の端から血を流すその顔は、まさに先日会った大野だ。
「ね、大丈夫?生きてる?」
二宮はその場にしゃがみ込んで大野の肩に手を掛ける。
少し揺すると、大野の肩がビクッと動き、痛そうに体を震わせる。
生きてる……。
人間、あれだけ蹴られても動くんだ……。
妙なことに感心し、揺すっていた手を顔の方へ持って行く。
「大丈夫……なわけないよね……。」
指先が頬に触れると、大野の顔が、ビクッと歪む。
「……ってぇ……。」
薄目を開ける大野にホッとし、体中を見まわしてみる。
ボロボロに汚れてはいるが、血が出ている等、びどく怪我している所は見受けられない。
血は出てなくても骨は……折れてるかも?
「とりあえず、病院へ……。」
二宮は大野の右手を担ぎ、体を起こそうと踏ん張って見る。
「ってええええっ!」
大野が思いっきり顔を歪め、瞼の腫れてきた顔で二宮を睨む。
「仕方ないでしょ?病院……行かないの?」
「……いい、いいからっ!」
大野はグッと二宮の肩に乗せられた腕に力を込め、一気に立ち上がる。
「っつ……。」
痛みで顔を歪め、一瞬ズルッと体が落ちそうになったが、なんとか踏みとどまる。
「歩ける……?」
大野は腹を押さえながら、一歩前に足を出す。
びっこを引くが、なんとか歩けそうだ。
骨は大丈夫だったのか?
二宮はタクシーを捕まえようと、大通り目指してゆっくり大野を歩かせた。
「本当に病院……いいの?」
「ああ……。」
鏡を見ながら、顔に軟膏を塗る大野を、心配そうに二宮が見つめる。
この間の安ホテルだ。
病院へ行くことを拒んだ大野は、まだこのホテルにいたらしい。
あれから10日は過ぎている。
「っつ。」
痛そうに顔を歪め、こわごわ唇の端にも軟膏を塗る。
「それで直る?」
「直る。舐めたって直るんだ。一応薬塗ってるだけまし。」
大野は、口を開けると痛いのか、ボソボソと話す。
声が小さく、近づかなくては聞こえない。
顔に軟膏を塗り終えた大野は、シャツのボタンに手を掛ける。
うまくボタンが外せない。
見かねて二宮がボタンを外していく。
シャツを脱がせると、下着替わりに来ているのか、
元は白かったであろう薄汚れたTシャツが現れる。
「これも脱ぐ?」
「ああ。そこにハサミあるから、切ってくれ。」
腕が上がらない?
二宮は大野の体を確認しながら、ジョギジョギとハサミを入れていく。
Tシャツの下から現れた割れた腹筋にドキッとする。
日焼けしたその肌は、筋肉質で、力強い。
腹の辺りにうっすらのったぜい肉も、生命力を感じさせる。
トーマとは違った筋肉。
トーマの筋肉には無駄がない。
必要な分だけ作られ、維持されている。
こんなに日に焼けたりもしない。
トーマのは見せる為の筋肉。
店に来る客は見かけに対してもシビアだ。
ただ遊ぶだけじゃない。
セレブな客達は、そういう雰囲気に対しても金を出してくれる。
大野の筋肉は、見せる為のものじゃない?
見かけを売りにするヒモってわけじゃないのか?
傷も、肩に大きな痣ができている他は、腹と背中に一か所ずつあるだけで、
思ったより少ない。
もちろん、小さな擦り傷や痣はある。
「背中、塗ってくれ。」
軟膏を渡され、指先に取り出すと、そっと背中に塗る。
「つつつっ!優しくっ!」
「優しくやってるよ。」
「もっと優しくっ!」
「これ以上どうやるのよ。」
二宮はできるだけ優しく痣の上に軟膏を広げる。
ビクッとその手を避けるように体を丸める大野が怒鳴る。
「お前、怪我したことねぇのかよ!」
「こんな怪我、したことないよ!」
「男なら、これぐらいしろっ!」
「普通しないから、こんな怪我!」
ブツブツ言う大野が、だんだん面白くなってくる。
少しずつ、傷の中心に向かって軟膏を広げる。
「いてっ!」
「我慢っ!」
クルッと肩の傷の上に軟膏を広げると、大野の背が伸びる。
「おわっ!」
「動かないで!もう少し!」
中心部分にも軟膏を広げ、逆の肩をポンポンと叩く。
ビクッと大野が体を引く。
「背中は終り。ほら、腹も塗ってあげるから。」
「いいよ、腹は自分で塗れる。」
そろそろと自分の胸の傷に指を持って行き、チョンと突く。
「っつぅ~~~っ!」
「オーバーだなぁ。」
「じゃ、お前がなってみろ!いてぇから!」
「絶対やだっ!」
二宮は笑って、大野の胸に軟膏を広げる。
「動かないでよ。動くと余計痛いよ?」
大野はグッと目をつぶり、口を引き結ぶ。
大きな傷に塗り終え、小さな傷にちょこちょ塗り始めると、大野の目が開く。
塗り絵でもするように、次々軟膏を塗りたくって行く二宮を見て、大野が微笑む。
「元気そうだな。あのまま帰れたのか?」
二宮は返事せず、脇の下の傷を確認する。
「恋人、心配してただろ?」
二宮の指が止まる。
「寝ないで……待っててくれた……。」
「そうか……よかったな。」
そうだ。
心配して寝ないで待っててくれたトーマ。
そんなトーマに、心配も迷惑もかけたくない。
「お願いがあるんだけど……。」
二宮が大野を見上げる。
「んあ?」
大野の目が、怪訝そうに二宮を見返す。
「当分……ここに置いてくれないかな。」
「……どうして?恋人が待ってるぞ。」
二宮は首を振り、縋るように大野を見つめる。
「待ってるから……戻れない。」
「どういう意味だ?」
「お願い。」
二宮は大野の手を両手で握る。
「しばらくでいいんだ……しばらくの間……私を見張ってて欲しい。」
「……見張る?」
二宮は、言うのを躊躇うようにゆっくり首を振る。
「寝てる間の……私を見張ってて欲しい。」
「……寝てる間……?」
大野は訝しそうに首を捻り、二宮の瞳の奥を覗き込む。
薄茶の瞳が、潤んでユラユラと揺れる。