しばらく行くと、上等な笠を被った女とすれ違う。
女は急いでいるようで、櫻井に目もくれず、道を進んで行く。
こんな時分に女が一人歩きなど、危険極まりない。
「もし。」
櫻井が声を掛けると、女がハッとして振り返る。
「はい……。」
笠で顔は良く見えないが、二十五、六だろうか。
どこぞの奥方といった風情だ。
上流の奥方が、供も連れずに一人で出歩くなど、到底考えられない。
「こんな時間に一人歩きは危のうございましょう。」
櫻井が言うと、女が困ったように顔を歪める。
「ご心配、ありがとうございます。
ですが、子供の具合が悪いのでございます。
山の麓に腕のいい薬師がいると聞きまして、そこへ向かっております。
家の者は足を悪くしておりますもので、わたくしが……。
子供に少しでも早く薬を飲ませてあげたく、急いでいるのでございます。」
「それはお気の毒に。」
櫻井は女の肩に手を掛ける。
「私が持っている薬でよければ、お使いください。」
印籠から薬の包みを二つ取り出し、女の手に握らせる。
「痛み止めでございます。子供でしたら、包みの半量を朝と晩に飲ませてあげてください。
できるだけ白湯もたくさん飲ませるようにして。」
「ああ、かたじけのうございます。」
女は深々と頭を下げる。
「もしよろしければ……、一緒に我が家に来てはいただけませんか。
今は手持ちがありませんが、ぜひ、お礼をさせてくださいませ。」
「いいえ、そのようなお気遣いは無用でございます。
私も急いでおりますので、これで失礼……。」
櫻井がそう言うと、女の手が櫻井の手を握り締める。
「そんなことをおっしゃらずに……。」
柔らかい女の手が櫻井の手を自分の胸に押し当てる。
「ぜひお礼を……させてくださいませ……。」
女が淫靡な顔で笑う。
櫻井の背筋がゾクッとし、女の手を払おうとして、動きが止まる。
「クックック。もう動けまい?」
笑う女の口が、見る見る耳まで裂けて行く。
「な、なにを……。」
櫻井の手を引き、抱き寄せると、女がクンと匂いを嗅ぐ。
「ほんに、美味しそうな匂い……。
あやつが離れるのを待っていた甲斐があったわ。」
動けない櫻井の頬を、女の舌がペロッと舐める。
「あやつ……?」
「狐に決まっておろう。
できれば疲れとうないからな。」
女の手が徐々に丸くなっていく。
「そなた……猫又か……。」
「ふふふ。気づくのが遅すぎたねぇ。
今頃気付いても……もう、何もできまい?」
すっかり猫の顔に戻った猫又が、クスクスと笑う。
「さて、どうやって頂こうか?
こんなに美味しそうな獲物は久しぶりだ。
ゆっくり味わって……。」
猫又の舌が、櫻井の胸の合わせの間を這って行く。
「うっ……。」
櫻井が呻く。
「ああ、思った通り、いい味だ。
精気もいいが、人の皮って言うのがこれまた美味でな。
お前のは特にいい味だ。
この皮は綺麗に剥がして取っておこうか。
そうすれば、いつでも舐められる……。
攫って来た人間に被せて、楽しむのもいいのう。
お前とそっくりな人間が出来上がるぞ。」
猫又がジュルッと舌なめずりする。
「何を馬鹿げたことを……。」
「そう思うか?」
猫又の目が細く光る。
手の平を櫻井の前に広げると、鋭く曲がった爪がにょきにょきと伸びていく。
「私の爪はよく切れるんだよ。皮と肉の間を綺麗に割いてあげようね。」
猫又が、爪の先を舐め、櫻井の顔に顔を近づける。
「まずは……傷つけないよう、精気をいただくとするか?」
邪魔な笠を投げ飛ばし、櫻井の胸元を開く。
「この皮を味わいながら……。」
猫又の手の平が櫻井の胸を撫でる。
大きく裂けた口が、櫻井を飲み込まんと近づいていく。
「うっ、くっ……。」
「いい顔だねぇ。恐怖に歪む顔がまたそそる……。」
「それはそれは……。すみませんねぇ。
歪んだ顔が地顔なんですよ。」
櫻井がニッと笑うと、猫又の動きが止まる。