翔の成長は智の知っている子供たちよりずいぶん早く、
1週間もすると歩き始め、10日経つと片言を話し始めました。
初めて口にした言葉らしい言葉は
「さ…とっ……。」
でした。
もちろん、智は可愛くて可愛くてしようがありません。
溺愛です。
目の中に入れても痛くないほどの溺愛ぶりです。
竹で竹とんぼや弓など、たくさんのおもちゃを作り、
今まではあまり気にしなかった食べ物も、翔がよく食べる物を作ってあげました。
その為には、たくさん仕事もしなければなりません。
何せ、翔の好きな物と言ったら、貝だの甘い物だの、お金がかかるものばかり。
そこで、それまでからは考えられないくらい、智は籠を作りました。
腕はいいので、作ったそばから飛ぶように売れていきます。
売れれば売れるほど、智の籠は人気を呼び、
都の雅な家でも使われるくらいになりました。
智の籠は使い勝手はもちろん、その見た目の美しさから、
女達の受けがとてもよかったのです。
翔は、その後もグングンと成長し、十五夜が二度過ぎた頃、
見た目が10歳くらいの男の子になると、智に向かってこう言います。
「智は腕がいいんだから、籠ばかり編んでないで、違う物も作ったらいいよ。」
利発そうな瞳がキラキラと輝きます。
「違うもの?」
「そうそう、例えばこんなの。」
翔は筆を持ってさらさらと絵を描いていきます。
四角に丸が幾つも書かれているようですが、智には何が描かれているのかわかりません。
「ん~?これ、なぁに?」
智が首を捻ると、翔は反対に口を尖らせます。
「わかんないかなぁ。これ、筆筒(ひっとう)だよ。」
「筆筒?」
「筆を立てておいたりする道具。竹の筒に絵を彫ったりしてカッコよくするんだ。」
どうやら、四角は筆筒の形で、丸は中に描くカッコいい絵のようです。
智はその紙の隅に5人のカッコいい神様の絵を描いてみせます。
「こんな感じ~?」
「そうそう!」
神様たちは仲良さそうに寄り添って笑っています。
ちょっと女心を擽るような、甘い顔付きをしているのは智の好みでしょうか。
「じゃ、最初に作ったやつは翔ちゃんにあげるね。」
「え?俺に?」
「うん。上手にできるかわかんないけど。」
智はサラサラと筆を走らせ、実物と同じくらいの大きさに神様たちを描いていきます。
「嬉しい!智は絵も上手いなぁ。どうして俺はヘタなんだろ?」
「翔ちゃんのはヘタなんじゃなくて、個性だよ。
俺は結構好きだけどな?」
「……ほんと?」
「うん。」
智が笑うと翔も笑います。
大きな目をクシャッと歪ませ、少し大人びた顔で笑います。
翔が笑うと、辺りが一面明るくなり、家中がまるで月明かりに照らされたようになります。
智が一人でいた頃とは大違いです。
「おいで。」
智が手を伸ばします。
いつものように、翔は智の膝の上に乗って、智を見上げます。
「大きくなったねぇ。翔ちゃん。」
後ろからギュッと抱きしめると、翔がくすぐったそうに体をもぞもぞさせます。
智の無精髭が頬に当たって、チクチクするのです。
「早く大きくなるからね?
大きくなって、智に楽させてあげるから。」
「いいよ~。俺は翔ちゃんがいればそれで十分。」
智はチュッと翔のこめかみに唇を当てます。
「もうそろそろ抱っこもできなくなっちゃうなぁ~。」
「え?大きくなると抱っこしてもらえないの?」
「そうだよ~。大人を抱っこしたりしないだろ?」
「いいじゃん、抱っこしたって。
そういう既成概念が日本人の社会性を狭くするんだよ?」
「……翔ちゃん、そういう言葉、どこで覚えてくるの?」
最近、翔は近所の福沢先生のところに通うようになっていました。
智が竹を取りに行っている間です。
智もなんとなくは気付いていましたが、何も言いませんでした。
これからの男は、字だけではなく、
算盤や儒教を勉強した方がいいと、感じていたからです。
智は、勉強は好きではありませんでしたし、
考えることも得意ではありませんでしたが、
時代の波を読み解く勘は鋭かったのです。
智が首を傾げると、翔も同じ角度で首を曲げ、クスッと笑います。
「言葉なんてどうでもいいから……。」
翔の唇が智の唇を掠めます。
「俺、智を満足させられる男になりたいんだ。」
「……満足?」
翔はキラキラな笑顔を、さらにキラキラと輝かせます。
あまりの眩しさに智は目を瞬かせます。
「うん。智にやりたいことをさせてあげたい。
今の籠作り、嫌いじゃないだろうけど、やりたいことでもないでしょ?
俺、智に認めてもらえるような、包んであげられるような、
包容力のある男になりたいんだ。
抱っこもされたいけど、抱っこ、してあげたい!」
「翔ちゃん……。」
智はぎゅっと翔を抱きしめます。
この小さな男の子が可愛くて可愛くて仕方ありません。
翔は後ろから抱きしめる智の手に、そっと口づけます。
智の手はゴツゴツとしていて固く、でも柔らかく翔を包んでくれます。
「翔ちゃんにもそろそろ、大人になる準備をしてあげないとなぁ。」
翔は首だけ振り返って智を見ます。
「大人になる……準備?」
翔の頬がポッと赤くなります。
そんな翔を見て、智はコブシの実みたいだなぁと思いました。