夜の仕事も続いている。
僕が開放されることはなく、毎晩あいつの寝所に行く。
ただ、隣で寝るだけの仕事。
あいつは僕をどうするつもりなのだろう?
縛りつけたいだけ?
僕がいつ、寝首を掻くかわからないのに。
それとも……。
隣に顔を向けると、いつものように、綺麗なあいつの寝顔が息と共に上下する。
長い睫毛が月明りで影を作る。
通った鼻筋のシルエットが、やけに儚げに見えて、思わず手を伸ばしかける。
グッと手の平を握り込み、自分の唇に当てる。
お前は何をしようとしている?
汚い大人になりたいのか?
こいつは聖職者でありながら、あんなことをしたんだぞ?
あんな……。
思い出して唇を噛みしめる。
あんな屈辱を……敵(かたき)であるこいつから受けたなんて……。
握り締めた手を広げ、上半身を起こすと、あいつに近づく。
あいつの首に両手を掛け、あいつの顔をじっと見て……ゆっくり指を伸ばしていく。
あいつはピクリとも動かない。
ただ、綺麗な顔が、安心したように寝息を立てている。
このまま、もう少し力を入れたら、敵を討てるんじゃないか?
父さんと母さんの……。
村の人達の……。
力を入れたいと思うのに、力の入らない指。
何を躊躇ってる?
こいつを生かしておく意味がどこにある?
あの焼野原を思い出せ。
立ち上る煙、転がる人々……。
全部こいつのせいだ。
こいつが……。
僕の指先にグッと力が入る。
あんなことまでされたんだぞ……あんなことまで……。
こいつは僕を辱め、侮辱した。
身分が低いから?
子供だから?
親がいないから?
そんな僕になら、何をしてもいいって言うのか!?
力を入れろ。
ほんの少しで全ては終わる。
父さんと母さんの敵が討てる……。
僕はじっとあいつの顔を見る。
何が起こっているのかこいつは知らない。
今、僕の指がこいつの生死を握ってるってことも。
全てが……、僕に委ねられている現実。
なのにこいつは何も知らず、何も気付かず、呑気に眠ってる……。
「……は、ははは…………。」
教皇の息子で枢機卿で。
贅沢な生活と、こいつを称える人々。
なんでも持ってるこいつが、今は僕の手の中だ。
僕の一存で、こいつは屍と化す……。
もう、永遠に綺麗な寝顔のまま、目を開けることもなく……。
「……どうした?……力を……入れないのか?」
僕は、ビクッと手を引きかける。
あいつの静かな声と同時に、瞼が開く。
真っ直ぐに僕を見る瞳。
グレーの瞳は、夜の闇の中で黒く光る。
「やればいい。お前にはその権利がある。」
あいつの手が僕の手首を掴み、グッと自分の首に押し付ける。
「うわっ。」
「ほら、力を入れろ。」
僕は慌てて、あいつの手を払い退ける。
同時に、首からも手が離れ……。
あいつは深い溜め息をつくと、上半身をゆっくり起こす。
「私の命、いつでもお前にくれてやる。
やりたいと思った時にやれ。」
あいつは無表情なまま、じっと僕を見る。
蔑むでも、面白がるでもなく、ただじっと。
「ど、どうして……。」
僕は唾を飲んで、ぎゅっと手を握り締める。
「どうして、僕をここに置く?」
あいつは微かに笑って、体をベッドに戻す。
「どうしてだろうな……。私にもわからん。」
「わからんって……。」
あいつは両手を頭の下に入れ、天井を見据える。
「わからないものはわからない……。」
自分でも本当にわからないのか、クスッと笑う。
あいつの声……。
久しぶりに聞いた声は、やけに優しく聞こえて……。
僕の胸がぎゅっと締め付けられる。
そんな僕に気づいたのか、あいつが僕に視線を向ける。
「どうした?私に手を掛けたのはお前だぞ。
なのに、どうしてお前がそんな顏をしている?」
「そんな顔って……?」
あいつはじっと僕を見たまま、静かに言う。
「泣き出す寸前の……子供みたいな顔だ……。」
あいつの手が僕に伸びる。
僕は……。
僕は、何も考えず……。
……その腕の中に……身を投げ出した。
あいつの首にしがみ付き、流れる涙もそのままに……。
あいつの手が僕を抱きしめ、背中を擦る。
僕は嗚咽を上げて泣いた。
なんで泣いてるのかわからない。
わからないけど……、涙が後から後から流れ出して、
自分ではどうすることもできなかった。
あいつの温もりが、余計に涙を溢れさせる。
「ショウ……。」
あいつが僕の名前を呼ぶ。
澄んだ声で、僕の名前を……。
あいつは僕が泣き止むまで、ずっと背中を擦り続けた。
僕は……泣くだけ泣いて、気付いたらあいつの腕の中で眠ってしまった。