振り返った先にあったのは、堺屋の引きつった顔。
「これはこれは、堺屋様。貸本屋に何か御用で?」
智が睨みを利かす。
ぎくっとしながらも、智の視線を素通りし、堺屋は暖簾をくぐって入って来る。
「双六を見てね、誰がこんな上手いことを考え付いたのかと、
探し回っていたんだよ。
すると、うちの若いのが、ここの店主が派手な恰好で配ってたって言うんでね。」
堺屋は一同の顔をじろじろと見回し、和の顔で視線を止める。
「こんなことを考え付く奴がいたとはねぇ……。」
和から視線を外さない堺屋に、雅紀がずいと前に出る。
「江戸ものは元来おせっかい。私どもも、おせっかいさせて頂いただけでございます。
何も悪いことなんかぁしておりません。」
雅紀が言い切り、櫻井がうなずく。
「ああ、わかっている。私はこっちで店を出したら、
番頭に任せて向こうに帰るつもりだったんだがね、
うちのが、江戸を気に入ってしまってね……。」
堺屋は和から視線を逸らさない。
和もきっと堺屋を睨みつける。
「で、ちょっと欲を出したら踏んだり蹴ったり。」
堺屋が渋い顔で眉間に皺を寄せる。
「あっちもこっちも上手くいかない。私には西の方が向いているんだよ。」
堺屋が腕を組んで小さくうなずく。
「そうでしょうとも。堺屋様には西の方がお似合いでございます。」
丁稚らしい言葉とは裏腹に、和は堺屋を見据えたまま身動きしない。
「ああ。そんなに睨まないでおくれ。何も、あんたらを敵に回そうってわけじゃないんだ。」
堺屋は出入り口に視線を注ぎ、手招きする。
「入って来てくださいよ。これじゃ、私一人が悪者だ。」
「お前が金儲けばっかり考えるのが悪い。少しは世の為人の為になることを考えるんだな。」
暖簾をくぐって入ってきたのは、いつかの侍。
「そうは言いますけどね、商人(あきんど)が金儲け考えて、何が悪いって言うんです?」
堺屋が小言の如く文句を言う。
「あ、おめぇ、おみよちゃんとこに通ってた!」
智が声を上げる。
「見られてたとはお恥ずかしい。」
「東山様!」
櫻井が叫ぶと、東山は頭を掻いて苦笑いを浮かべる。
「甘い物に目がなくてね。いやぁ、あそこの団子は本当に旨い。」
「東山様……どうしてここへ?」
「それは……。」
ちらっと智を見る東山が、頬を染める。
櫻井には嫌な予感しかしない。
まさか……。
「鳥井とも相談したのだが、岡場所には手を入れる。
これほどあちこちにあっては江戸の風紀は乱れるばかり。
だが……精査はするが、無くしたりはしないから。」
雅紀がほっと胸をなで下ろす。
「歌舞伎は……。」
「昨日のあれを見て、小屋をつぶすわけにはいかないだろう?」
東山が片目をつぶる。
「歌舞伎自体が悪いわけではない。だから、木挽町の周りに数ある茶屋には手を入れる。」
「東山様!」
それでは何も変わらない。
例え歌舞伎が残っても、女形の若手はどうする?
「手を入れて、店の経営状態を確かめる。湯島も一緒だ。」
「それって……。」
雅紀が心配そうに東山を見つめる。
「無理やり働かせているようなら、取り潰す。
陰間や女たちの借金も無罪放免だ……。」
「え?」
雅紀が和と顔を見合わせる。
「もう十分儲けたはずだ。女衒や茶屋の店主をこれ以上儲けさせる必要はなかろう?」
「東山様!」
櫻井が声を上げると同時に、雅紀と和が抱き合って喜ぶ。
東山がにこりと笑って櫻井を見る。
「手伝ってくれるか?お前は算術が得意だと聞くが……。」
「もちろんでございます。このような良きお勤め、さらに精進いたしまして、
必ずやお役に立てるよう……。」
櫻井が頭を垂れる。
「ああ、頼むよ。」
東山がうなずくと、櫻井は顔を上げ、首を傾けて東山を見上げる。
「では……春画の方は……。」
「ああ、それもな……。」
東山は雅紀を真っすぐ見据える。
「成田屋から……見せてもらったよ。素晴らしかった……。
春画とは言え……いや、春画だからこその気品と色気。
春画は江戸の華だな?」
「東山様!」
櫻井が声を上げ、雅紀と智が顔を見合わせる。
「では、春画もこのままで……?」
「私が今のお役目にいる内は……。」
店内に歓声が上がる。
「それじゃ、私はこれで……。」
帰ろうとする堺屋の肩を東山が掴む。
「待て待て。お前がいなかったら、どうやって茶屋の内情を見分ける?」
「そんなの、お役所でなんとかしてくださいませ。」
「勘定方が貸してくれると思うか?
お前のおかげで私もいろいろ振り回されたのだぞ?」
東山に睨まれ、堺屋は肩を竦める。
「わかりました。私がお教えしますから……。」
「さすが、天下の大店は話が早い!」
和が堺屋を持ち上げる。
「その代わり……。」
堺屋が商人の顔になって和を見据える。
ぎくっと和が動きを止める。
「双六、先ほど話していた引札……向こうで真似させて頂きますよ?」
堺屋がにやりと笑う。
和もにこりと笑って切り返す。
「もちろん……一両でどうでしょう?」
「さらに金まで取る気かい?」
みんなが笑って和を見る。
「しょうがないねぇ、だが、一両は高すぎる。二分……良くて三分。」
「わかりました。三分で手を打ちましょう。」
「あんた、なかなかの商売上手だ。どうだい?私の店で働いてみるってのは?」
和は笑いながら、後ろ手で雅紀の手を握る。
「とても良いお話ですが……私は今のお店が性に合っておりますので……。」
「そうかい、そうかい。今回は双六と引札で良しとしようか。邪魔したね。」
堺屋は腕を組んで帰って行く。
なぜ帰らないのか、不審に思いながら、櫻井が東山を見ていると、
東山の視線が、智の上でぴたりと止まった。