さっき、NHKのヒストリアを見ました
 
 
 
 
 
 
そして、弥生時代の銅鐸の話がありました。
 
 
 
 
 
 
 
 
なんだかその再現映像を見ていたら、何だかもっと気楽に生きたらいいなぁって気になりました
 
 
 
 
 
 
 
 
2000年前には弥生時代の生活があって、色んな人が暮らしてきていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
弥生時代も縄文時代もその後も、一人一人が一生懸命生きていたのだと思う。
 
 
 
 
 
 
でも、今から見たらありんこさんと同じ。
 
 
 
 
 
 
 
特定出来ない大勢の人達が、この日本で暮らしてきた。
 
 
 
 
 
各々の人生の、いいも悪いも今からは判別出来ない。
 
 
そんな中で、大勢の人達は最期にはちゃんと亡くなっていきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千代にとっては、千代の人生が"おおごと"でした!!
 
 
 
 
どうにかしていい風にしたい!って気負って焦っていました。
 
 
 
その感覚は分かっていた。
 
 
でも、それが「深刻に感じていた」ことには気付いていませんでした。
 
 
 
 
気付かない、それこそが無意識ですね
 
 
 
 
 
 
 
 
本当はもう、なんでもいいの
 
千代だって、名もない一ありんこさん。
 
 
 
 
 
自分の声無視したっていい。
いい方向に流れなくってもいい。
便秘したっていいし、お風呂入る時間バラバラだっていい。
先生に失礼なことしちゃったっていいし、人に伝えたいこと伝えなくったっていい。
 
実家で無職でいたっていいし、早死にしたっていい。
 
 
もう何でもいい。
 
 
ただ、~していいって言ってる中で、嫌なのもあった。
 
それもそれで、嫌がっていればいい。
 
 
 
 
「適当」でいいの
 
 
 
 
 
悶々と続いた鬱憤が、「もうどうだっていいし何でもいい」という呪文で晴れました
 
 
 
 
 
この投げやりに思える言葉が、今のところ本心なのかと思います。
 
 
 
千代は一ありんこさんとして、生きていきます