先日のこと、午後八時頃でしたが、知人から電話がありました。
「ちょっと仕事頼みたいんや」
そう言われて、
「急ぎの作業入りましたか?手伝いますよ」
と言いますと、
「いや、うちの仕事やないんや、あんた得度受けてて坊さんの衣装持ってるやろ?それで枕経あげてやる坊さんが居れへん死人が出て、その人にお経あげてやってほしいんや。できるか?まあ頭丸めた人が形だけのお経でええから上げてやって欲しいんやけどな。福祉葬でお坊さんは費用に入ってへんから、わしがお坊さん連れて行くて言うてしもたんや」
「いやそんなら行かしてもらいますよ。近くですか?」
「いや、ちょっと遠いとこや。北陸の方まで行かなあかんのや。金沢の市内の斎場や。車で行かなあかんのや」
「飲んではるんやったら、運転しますよ」
「いやいや今日はさすがに飲んでない。……あ、今キャッチ入っ た。ちょっと電話切るで。」
しばらくしてまた知人から電話がありました。
「市会議員の新年会に顔出さなあかんようになった。帰ってきてからまた電話するわ」
それで、支度しなければならないので袈裟衣を用意、あるはずの足袋や雪駄は見つからず、自分の思いとしては、お葬式に折り五条など簡略の袈裟は使えないので、得度を受けた後に手縫いした如法の七条衣を用意して紙袋に入れておりましたが、午前零時になって、知人から電話がありました。
「ごめん、状況変わった、運転頼む。今すぐ表で待っててくれ」
「あ、飲みはったんですか?」
「そや、飲んでもた……」
私ちょっとちょちょ舞うというか、慌ててしまい、紙袋を手に持って住処から飛び出して行きました。いかにもペーパードライバー然としたゴールデンライセンスの免許証はしっかりと持って……。表で待ってろという指示もすっ飛んでしまって知人宅へ直行、表が開いていたので一階の作業場に行くと、知人の奥さんにばったり出会い、奥さんは忿怒の形相で知人を睨めつけ、
「やっぱり呼んだんか!一人で行くんと違うんか?」
知人は生返事をしながらそろりと車に乗り込み、
「チッあれほど表で待っとけ言うたのに……それでも万難を排してワシ一人で金沢まで行く言う面目丸つぶれや……」
「あ、なんかごめん……」
「いや、無理頼んだんワシや、あんた悪ない悪ない」
近くの入り口から阪神高速に仕事用のタウンエースで入りました。運転は慣れてないので、ひたすらアクセル踏んでも思うようにスピードが出ない。そこで、
「今頃は煽り運転話題になってるけどな、煽られる方も大概問題あるやろな……」
低速運転で交通違反ギリギリの運転でした。
言われても仕方ありません。飲酒と低速どちらが罪が重いのかは知らねども、無事金沢まで運転できればと言う思いだけが頭の中を駆け巡っておりました。走行予定は一旦大津で降りて湖西をひたすら北上しながら敦賀まで走るコースでその辺りから北陸道に入ると言う事でした。
幸い危惧していた積雪もなく、この為に用意していたチェーン着装もせずに済みました。湖西からひたすら闇路を走行、霧が出てきて前方確認が難しくなっています。そして湖西を抜ける前に、腹ごしらえの為道沿いのすき家に入りました。
知人は牛丼並を注文、私はメニューにない例の牛丼キングをなぜか注文、
「ワシもそれにしとくわ」と言う知人を制し、「これは無理です。やめときはった方がいい思います」と説得しました。
出された牛丼キングを見て、
「あんたそれは無理やろ。食べきれんかったら残しや」
自分も無理だと思ってましたが、
箸は使わず、匙だけで、普通のサイズを食べる時間で完食、それでも、なぜかお腹に入った感じがない。お腹の突っ張る感じが全くありませんでした。しばらく走り、山道沿いにぽつんとあるコンビニで知人はメロンパンを購入、
「あんたもたべるか?」と言われて、
「はい、いただきます」
二三口で食べてしまったのを見て、
「食いよった、信じられん」
これはのちに得意先での話のネタにしたと知人は言っておりました。
還暦を遠にすぎて食は昔よりかなり細くなった私ですが、自分でもなぜあれほど食べてしまったのか今も不思議に思います。
さて、今回のお葬式の経緯を道々詳しく聴くと、亡くなったのは、知人の身内の方、生涯未婚で過ごした方が病院で息を引き取られたのでした。
その方は知人の叔母にあたる方で、遠隔地に住まわれているので、知人は幼い頃に会ったきり長く疎遠となっていたそうです。
敦賀よりかなり前に北陸道に入りました。サービスエリアはどこもしまっております。仮眠をとるのにはサービスエリアの駐車場を使えばよかったのですが、何かよる気が起こらず、北陸道に入ってすぐの小さなサービスエリアでトイレ休憩をした程度でした。
下道を道中知人は寝落ちして、何度か運転している私の方にもたれかかってきたので、途中で車を停止して座席を倒してもらいました。
少しずつ夜が白んできて白山が見えてきました。
金沢に到着して、南斎場に着き、斎場入り口のドアは鍵がかかっていないのを確認して待合のソファで仮眠しておりますと、職員の方が入ってこられて第一声、
「施錠している筈ですがどうやって入ってこられたんですか?」
と聞かれ、ドアが開いていた旨を伝えますと、入り口横の運転手用の控え室に案内されて、そこでしばらく仮眠をとりました。
そのうち今日の葬儀と荼毘を担当している葬儀屋さんがこられて今日の予定を説明されました。
入り口前に停めていた車を駐車場に移すように促され、知人は車を駐車場まで運転していきました。中々帰って来ないので、気になって見に行くと後ろに積んだ私の紙袋の中身をじっと見ています。
「あ、それ出しておきます」
「いや、これ出さんでええよ」
ん?と思い紙袋の中身を確認すると、念珠と如法衣が入った袋の下には入れたはずの黒衣が無い。そこに入っていたのは私の洗濯物、しかも洗ってない。唖然としながら袈裟袋を取り出して、斎場に向かいました。知人も私も無言でした。そして入り口に着くと女の人が来ています。知人は、
「ああしばらくやったな。誰かおもたらあんたか?」
今日の仏様の姪御さんで身内での参列者は知人とこの姪御さんだけでした。そして担当の福祉士の方と私、私は参列者とは言えないですが、葬儀屋さんを除けば、この四人ということになります。
姪御さんに衣を忘れたことを謝ると、如法衣を持って来ていたことを喜んでいただき、むしろ略式の袈裟でなかったら僧衣などどうでもいいですといわれました。洋装の上に如法衣を掛けてという無様な姿でしたが、荼毘の前に枕経を兼ねたお経を唱えることができました。死化粧された知人の叔母さんは安らかなお顔をされていました。
叔母さんが好きだった黄色いセーター、遺品の中から見つけることが出来なかった。という姪御さんの話で急遽知人は黄色いセーターを大阪市内で購入してきて柩に納め、
「生きてる時に着せたりたかった」と溜め息混じりに呟いておりました。
叔母さんは他の親戚とは生前仲がよろしくなかったそうです。この方をずっと気にかけていたのは知人のお母さん、姪御さんのお姉さん一人だけだったそうですが、妹さんより先に亡くなりました。妹さんの為に色々と面倒を見る心積もりをしていた時に定命が尽きてしまいました。
知人と今日参列した姪御さんは子供のころこの叔母さんに可愛がって貰った事をよく覚えていて、他の親戚からはあまり良くしては貰わなかったそうです。
後日、知人は、夢にでも叔母さんが出てくるかと期待していたそうですが、夢に出てきたのは姉である知人のお母さん、相当なお怒りで親戚一人一人の名前を挙げて、「どいつもこいつもいずれ潰してやる」と言っていたそうです。
荼毘に付されたご遺骨は灰にもならずによく残っておりました。主なお骨を壺に納めて、斎場から出るとすぐに、病院に行き、叔母さんの身の回りの品々を知人の車に搬入して姪御さんのお家へ運び、その後叔母さんのお骨を納めるお寺に送りました。
菩提寺が納骨を渋ったので、見ず知らずのお寺さんが受け入れてくれるという事一時預かりという形で初七日を兼ねたささやかな法要を営み、その後知人はそのお寺のお坊さんに聞き、近くで美味しい料理を出してくれるお店を教えていただき、そこで、菩提寺の墓じまいも知人がすべてする申し出ておりました。
終始付き添って頂いた福祉士の方とも歓談して、さみしくなるはずの福祉葬が和やかで明るい雰囲気になったことを告げる福祉士さんからのメールを知人は私に見せてくれました。
衣忘れた私が坊主ぶって宗教めいた話をできるような状態ではありませんでしたしね。
挙げ句の果てに、私はウエストにも使えるショルダーポーチの中から、自分の障がい者手帳を取り出して福祉士さんに披露するということまでしてしまいました。
帰りは知人の運転で帰りました。その夜に知人は仕事を控えていましたから、私には絶対ハンドルを預けませんでした。家に帰り着き、さあ寝ようと思っていると、知人から電話、仕事終わったからスーパーで何か買ってきて今日の話しをすべえということで、食い物につられたのが運の尽き、翌朝5時まで今回のフィードバックいうか反省会。
(なにもかも私が悪かった。ええから寝させてくれ)
以上長々とすみませんでした。
