それまでずっと

“くっついていた” 母親から

初めて離れたとき。

 

これが覚えている記憶の中で

恐らく一番古く

初めてのトラウマでもあります。

 

ただ見送っていただけなのでしょうけれど、

どこか遠くへ行ってしまうようで

とても不安で、悲しかったです。

 

まだ赤ちゃんですね赤ちゃんぴえん

 

 

 

 

その後も、はっきりと覚えている「残像」。

 

毎朝、欠かさず観ていたTVアニメ📺

変な緑色をした、クマのぬいぐるみ

窓の向こうの景色虹

一間の狭いアパート

 

そして

 

奥にある小さな「台所」・・・

その流し台で、

毎晩のように吐いていたオエー

 

 

辛かったことはずっと覚えています。

 

 

食べられるものがありませんでした煽り

きっと親が無理に食べさせようと

していたのでしょう。

 

やがて

口が開かなくなってしまいました。

ストローがやっと入るくらいです。

 

 

幼稚園でも母のお弁当が食べられず

いつも “乾いた”「パン」を持参食パン

それをからかわれて、嫌な思いをしていたこと。

 

この時期は

「におい」にすごく敏感で

悲惨でした。

 

 

 

 

小学生になっても

相変わらず

食べられません。

 

厳しい担任の時は

給食の時間が本当に苦痛でしたネガティブ

 

給食で食べられたものは

ほぼ

「パン」「牛乳」だけ。

オレンジフルーツはOK)

 

 

色々な食材と調味料が混ざり合った

臭いがダメで

(吐き気を催し)

食べられないんです泣くうさぎ

 

 

普段は「果物」や

茹でた「とうもろこし」等

“食材そのまま” のものを

好んで食べていました。

 

だから、時々給食に出る

「千切りキャベツ」は輝いて見えましたねキラキラ

 

 

そんな幼少期を過ごしていたんですが

体は至って健康で、駆けっこも得意だったし

(サッカーはゴールキーパー!)

「跳び箱」と「渡り鉄棒」が大好きだった(笑)

元気な子供でした⚽

 

と、まあ

特にオチはないのですが

この頃は父親の

母に対するDVも酷くて・・・

なかなか辛い幼少期でした。

 

というか、もう毎日が

「サバイバル」!!

 

 

 

 

この世に生まれてからずっと

守護天使、守護霊をはじめとする

スピリットたち

私を見守り(護って)

導いてくれていたんだ・・・

 

と思うと

胸がキューッとなるのですニコニコ

 

 

応援してくれている

たくさんの愛すべきスピリットたち・・・

感謝でいっぱいなのです乙女のトキメキ

 

 

ありがとうございます。