テントかついで、どこまでも-カシミール3D大斎原

いよいよ大峯奥駈道も最終日。玉置山を経て、熊野本宮大社を目指すのみ。葛川辻から熊野本宮大社まで、標準タイム13時間10分、距離およそ25キロメートルです。果たして、17時17分の最終バスに間に合うのか?駄目なら、川湯や渡瀬温泉の野営場で、もう一泊するしかないんですけどね。ところで、スマートフォンのGPSログで正確な距離を表示したかったのですが、大森山を過ぎた辺りから、トラックがぶれぶれになって、一部分有り得ない軌跡になってしまいました。やはり、スマホのGPSでは限界があるのかな?かといって、ハンディGPSは高いしなぁ。この辺が思案のしどころです。


残った燃料全て使い切って朝食を準備して、食べられるだけ食べてカロリーを目一杯摂取。そして、5月4日、午前5時、ゴール目指して出発!まさか、いままで最も過酷な山行になるとは夢にも思っていませんでした。


テントかついで、どこまでも-地蔵岳

奈良にも槍ヶ岳が有ったとは、知らなかったなぁ。この辺りは、結構険しい岩場の連続です。特に地蔵岳の鎖場には要注意。くれぐれも私みたいにトレポ2本片手に持って、腕一本で降りたりしないように。



テントかついで、どこまでも-香精山

香精山を通過。とにかく急がなければならないので、玉置山までハイペースで進みました。



テントかついで、どこまでも-世界遺産記念碑

稚児ノ森を経て、林道沿いに歩いて、花折塚を過ぎると立派な世界遺産登録記念碑が建っていました。



テントかついで、どこまでも-玉置山山頂
玉置山に到着。晴れれば海が見えることから沖見岳とも呼ばれています。



テントかついで、どこまでも-玉置神社

山頂から長い階段を下って玉置神社へ。紀元前37年に創立された歴史ある神社です。参拝のあとは、境内で一休み。このとき左足の内側広筋あたりに違和感を感じました。1時間ほど速いペースで歩いたので、ちょっと疲れが出たかな?と軽く思っていたのですが・・・。



テントかついで、どこまでも-大森山

大森山を過ぎた辺りから、両足が痛み出しました。連日10時間のトレイルで足に疲労が溜まっていたんだと思います。さらに今回は、休息も十分ではなく、アミノ酸のサプリメントも持っていなかったので、筋肉の回復が追いついていなかったのかも。



テントかついで、どこまでも-五大尊岳

よりによって、このタイミングで足が壊れるとは・・・。まだ熊野本宮まで標高差900メートルを下らなければならないというのに。痛みに顔をしかめつつ、五大尊岳への下りに耐えていましたが、ついに内側広筋が腫れ上がって、完全に死んだ状態になってしまいました。


最終バスに間に合うか怪しくなってきました。それどころか最悪の場合、山を下りられなくなるかもしれません。今、自分が何処にいるのか?あとどれくらいで熊野に着くのか?せめてそれだけでも分かれば、励みになると思うのですが。しばらく我慢して歩くと鉄塔が有ったので、そこで休むことにしました。





テントかついで、どこまでも-熊野川

熊野川が見える!もうこんなところまで来ていたんですね。俄然、やる気が出てきた私は、壊れた足で再び歩き出しました。不思議なことに、少しでも足が痛くないように歩いていると、やがて腫れ上がった患部が固まってきて、下り道でも踏ん張れるようになりました。痛む足には、痛む足なりに歩き方と言うものがあるようです。



テントかついで、どこまでも-大黒天神岳

苦しみながらも大黒天神岳に到着。随分、標高も低くなってきましたね。



テントかついで、どこまでも-吹越峠展望台

吹越峠展望台からの眺め。大斎原(おおゆのはら)の鳥居も見えます。長かった道のりも、いよいよクライマックスです。きっと古の修験者も熊野の里が見えたときは、胸が詰まったのではないでしょうか?



テントかついで、どこまでも-熊野川備崎橋

七越峰あたりからは、広場あり、公園ありのハイキングコース。しかし今の私には、たった10段の階段を下るのも苦痛でした。そして遂に、16時25分、熊野に到着!さらに30分ほど歩いて、大斎原バス停へ。見ると「熊野本宮まで400メートル」の看板が。しかし、バス停近くの公衆トイレのベンチに腰掛けるのも一苦労な私に参拝できる力は残っていませんでした。


足さえ壊れなければ、15時30分には熊野に着いていたでしょうね。そうだったら参拝する時間も十分にあったのに・・・。川湯や渡瀬温泉の野営場で1泊するという考えもあったのですが、GWで大混雑が予想されるのと、足のダメージも心配なので、熊野本宮の参拝は断念して大人しく帰ることにしました。


バスから紀伊田辺駅に降りた私は、まさに病人か年寄りのような足取り。駅の階段さえ昇り降りできない状態でした。それでも特急くろしおに乗って、なんとか帰宅。幸い翌日には、足も回復しましたが、去年の扇ノ山以来の大ピンチでした。


大峯奥駈道は、想像していた以上に過酷なトレイルでした。主な理由は三つ有ります。


1・山小屋、水場が非常に少ない。


2・山小屋、水場の間隔が離れているため、どうしても一日の行動が長くなる。


3・アップダウンが激しい。一時間に2キロメートル程度しか進まない。


自分は、健脚だと思っていましたが、まだまだ鍛え方が足りないようです。ともあれ今年は私にとって、ロングトレイル元年になりそうです。すっかり熊野古道の魅力に取り付かれてしまいました。


険しく長い道のりだからこそ、古くから奥駈道を行く人々は、貴重な水場で渇きを癒し、山の草木や石にも仏性を感じるようになり、山奥で質素ながらも温かな食事や寝床を提供してくれる宿坊で感激したのではないでしょうか?「自然に優しく」なんていいますが、自然が人間に少しも優しくないことは、昔から日本人が知っていることでした。だからこそ、自然を敬い、ただ感謝する。日本人の宗教観にも通じることです。


熊野本宮に参拝できなかったことは残念でしたが、まだまだ中辺路や伊勢路、果無山脈といったロングトレイルは残されています。だから、次回のお楽しみと言うことで。