てんざえもんの哀しき告白 -38ページ目
分かった!

二宮尊徳は、貝原益軒の思想の体現者なのだ!
尊徳がいつ頃から益軒の書物を読みはじめたか尊徳全集の日記を読む必要がある。

江戸時代は鎖国の時代だが、思索者はいっぱいいるのである。

儒教の思想を現代に応用すればいいのである。


どんなことでもキッカケというものがないと、ことは、はじまらない。
ボクの場合、今はまっているのが儒教全般である。今更儒教的人格形成など無理だと思うが、儒教の真髄を学ぶことそのこと自体楽しいのである。
知らなかった世界を探求する。なんと冒険的なことだろう。
儒教の世界観がボクにどんな影響を与えるか、どんな結果を与えるか楽しみである。




ボクは、二宮尊徳の思想に接して、天道と人道について考えさせられた。そこで公共について、人のなすすべきことを考えさせられた。
そこで、儒の思想に触れ関心を持った。儒の思想は今でも必要なものであることを認識させられた。
長年、仏教の思想に接してきたが、仏教はあくまでも個人の内面の問題であるが、儒はもっと広く、深い。もう今のボクには、仏教は古い。
ただ注意が必要で、公共のために個人が必ずしも犠牲になることを儒は前提とはしない。

仁を持って公共に接すること。儒の積極的な思想なのかもしれない。




王陽明の知とは、知覚のみならず良識も含めての良知に他ならない。生まれながら持っている知力である。
なんとなく分かってきた。
自分も相当病んでるんだなと思う。身も心も。だから、心の平安を求めてさまよってるんだなと思う。
哲学も、儒も、仏も、またイエスの言葉もボクには、必要だ。
友達欲しいな。