天王予備校 ウサ山先生の塾日記

天王予備校 ウサ山先生の塾日記

「中学受験は才能」「大学受験は性格」 
田舎の小さな塾ですが毎年東大・京大に合格者をだしています
2020年と2024年には東大(理Ⅲ)合格者が出ています。
スタッフも東大・京大卒です。英検1級ホルダーもいます。

今週は九州旅行。都井岬で馬を見てぼ~~~~~~~という計画でしたが妻は「あれも・これも」というタイプで飫肥城址や西都原古墳群(数百の古墳群)、神武天皇船出の岬等々、歴史の旅になりました。

 

 

  理想だけでは生きていけない

その中で戦国末期に島津氏と九州の覇を競った大友宗麟の話は興味を惹かれるものでした。大友宗麟は最初は貿易目的で宣教師に接近したようですが息子に家督を譲ってから急速にキリスト教に傾斜し日向の国にキリスト教の理想郷を作ろうとしたそうです。

 

フロイス日本史には「国主(宗麟)は・・・日向の国に一つの堅固で、ローマにまでその名を馳せるほどのキリシタン集団を形成する決意でいた。」とあります。

 

実際に大友軍は、日向への軍事侵攻の際に、現地の神社仏閣(仏像や経典の類まで)破壊する徹底ぶりだったそうです。戦国大名が敵対勢力の神社仏閣を破壊することはめずらしいことではありませんがこれはキリスト教における「偶像崇拝の禁止」の教えの影響と見るのが自然でしょう。

 

縣(あがた : 現延岡市)に上陸した宗麟は、拠点を「牟志賀(ムシカ)」と命名して教会を建て、毎日オルガンを奏でたミサを行っていたといいます。このムシカという名称は、ラテン語由来で「musica(音楽)」から取られ、現在の無鹿(むしか)という地名にその名残が残されています。「むしか」というスーパーもありました。

 

ただ戦国期の」「国を取った・取られた」「殺す・殺される」そういった乱世でそんな夢みたいな話が通用するはずもなく、その後急速に衰退し戦国大名として生き残ることはできませんでした。

 

 

  着実に生き延びた伊東氏

同じく宮崎の南端に伊東氏の居城であった飫肥城址があります。

ポーツマス条約の日本全権大使小村寿太郎もこの小藩の出身でした。隣国は島津氏。わずか5万石の伊東氏は生き残るために堅実な藩経営を行ったようです。

 

領内は耕地が少なかったため藩士の窮乏に備えて杉の植林を始め温暖で湿潤な気候のおかげで良質の杉が育ち木造船の材料として重用され藩財政を支えたそうです。

 

戦国期に九州平定をも視野に入れた大友氏が理想郷建設を目指し急速に衰退する中、わずか5万石の小藩であった伊東氏は強国島津氏の隣に位置するにもかかわらず着実に半経営を行い幕末に至るまで存続し明治期には華族に列し子爵となっています。

 

 

  受験勉強も着実に

受験勉強というのは高校生活のゴールであるとともに人生のスタートラインでもあります。最近の大学受験では名前を書けば合格する大学も増えていますが誰もが憧れる大学の場合は多くの時間と労力をつぎ込まないとなかなか合格できません。

 

こういう厳しい現実があるにもかかわらず「なんで私が東大に」「君だけの勉強法」「神講座」みたいな「あまり努力しなくても合格できる」と錯覚させる目的が見え隠れするキャッチコピーが散見されます。

 

しかし塾講師長年の経験から「この子は確実に合格する」と早い段階で当確印をつけるのは「毎日自習室にこもりいつ見ても問題を解いているかテキストを覚えている。もちろんVector未達なんてありえない」そんな感じの生徒さんです。この時期の模試の判定なんてものは参考価程度のものです。

 

県体シーズンに差し掛かりました。最後の調整に余念がないとは思いますが皆同じ条件です。そんな中でも毎日少しずつ貯金する子がいます。できればこのタイプでありたいですね。

 

 

 

  15日間正答数ベスト10

4月10日より1学期のVector正答数を競うイベントがスタートしています。いろんな部門のベスト10に賞品を進呈します。

 

以下は英語や文系部門の上位10位の生徒さんたちです。

 

 

 

大学受験は解いたもの勝ち。そのことを肝に銘じて頑張ってもらいたいと思います。