「生命死」 | TenYearsAgo

TenYearsAgo

TenYearsAgoという名で趣味の範疇ですが
音楽をやっています。
自分の頭の中の3姉妹を動かすことを
楽しみに精進しています。
姉妹百合映像作品作りを目的としています。
よかったらよろしくお願いいたします。

※言葉が
上から目線的な感じにも取れるので
訂正いたしました。
不快に思わせてしまった方
申し訳ありませんでした。
あくまでも僕の個人的な考えです。
すみません。

こんにちは
この度は「生命死」を御視聴頂き
誠にありがとうございます。
そして今閲覧している方々にも
感謝いたします。

ここでこの曲のことを
簡潔に話します。
まずは前置きから、

人は家族だろうが友達だろうが
他人は他人です。
他人の苦しみは100%分かりません。
つまりそうなると
自分の苦しみを分かち合えるのは
自分のみになるのです。

僕は
小学生の時から苦しめられてきて
いまだ死んでくれない心配性に
いずれ
殺されてしまうのではないのかと
思い、本当に怖いのです。
そんな恐怖から逃れる術は
その苦しみを感じている
僕にしかできないのです。
僕は自分の世界を作り出さないと
この現実世界の
苦しみから抜け出せない、
もとい心配性から逃れられない。
そう思っています。
なぜそう思うのか、それは僕にしか
分からない苦しみだからこそ
そう感じるのです。

じゃあ何故、たった僕一人のための
僕が作る世界を
こうして曲にして
動画にして公開しているか
それは自分の意見や考えを
ぶつけたい、
自分の世界をぶつけたい。
自分の世界を見てもらいたい。
その上自分の世界に酔っていたい。
そして自分の意見や考えを
理解しあえる人を
一人でも見つけたいという欲望も
満たしたいからです。
だからYoutubeであげてます。
要約すれば僕は自分のオナニーを
わざわざ人に見てもらいたい。
そういう欲望があるからです。
ナルシストですね。
まあ僕はゴミです。

だから僕はこうして
気味の悪いことを
言っています。
だから、気持ち悪いとか
馬鹿らしいとか
痛いとか
笑われるのは
知ってます。
最終的に
人に嫌われるのも分かります。
だからなんだって話なんです。
嫌うなら嫌え、
笑いたきゃ笑え。
死にたきゃ死ね。
生きたいなら生きろ。


僕は自分の世界を愛しています。
僕は僕を愛してます。
もちろん
他人を
愛すのは大切ですが、
他人に
依存しすぎて自分を無くすのは
違います。
そんなの
自分じゃないと思います。
他人に依存しすぎる人は
一度自分の世界を
作ることをお勧めします。
この現実世界から逃れるのも時には
必要です。
それは人が愛する人を作り、
そこに癒しを求めるのと同じように、
僕は僕が愛する世界を作り、
そこに憎しみを開放させて、
その憎しみとともに感情を
開放するわけです。

僕が何を言ってるのか
意味がわからないならそれでいい。
逆に意味がわかるならそれでいい。
結局
人の価値観なんて
それぞれなわけで、
誰も強制的に他人の
価値観を変える権利
なんてものはないのです。

前置き終わりです。

この曲のタイトルの意味は
生きる希望も死ぬ勇気もないからこそ
生と死の中間にいるということで
「生命死」
僕は生きてはいたいです。
それでも死にたくなる時って
あるじゃないですか。
僕も僕なりの苦しみで
そう思う時があるわけで
だからこそ、100パーセント
生きていたいという
意味ではない、
でも100パーセント
死にたいわけでもないと
そういう意味です。
PV的には
最初の話は
後半の部分につながります。
その次に出てくる怖い世界が
この現実という意味で
いろんな事件や事故を描いてます。
正面衝突したスポーツカーと
ファミリーカー
銃撃戦で破壊されたパトカー
レイプされた女
見えないなにかに
自殺させられるサラリーマン
そんな怖い世界から抜け出す=
自分の世界を作る。
また、レイプ、DV、環境破壊など
人間はクズという一面
女は力に虐げられる一面
自分が生きるその分何かを殺す一面
人の不幸で笑いあうお茶の間の一面
を描いたつもりです。

サビ前のところは
イントロのところで
いじめで髪を切られた女の子
「ゆん」を助けるために
姉の「豊」が校長に退学届を
だすところです。
それはいわゆる「逃避」です。
辛い世界から逃げるという意味です。
生きるのも死ぬのも中止のシーンは
急に僕目線になります。
僕は自分の世界を作ってるから。
僕は自分の世界にいるこの三姉妹を
完全に動かすまでは死にたくない。
姉は時に親になる。
妹は時に子になる。
そしてこの三姉妹の間にある
現実ではありえないかもしれない愛が
僕にとって魅力的なのです。
この後の愛のシーンも
描けるなら描きたいが
そういう曲じゃないので割愛。
画力がないから割愛。
という感じです。
ギターソロのところは次の曲とかの
なんかテーマみたいなやつです。

基本的に歌詞は僕目線です。
僕は曲が終われば
現実に帰らなきゃいけない
という意味です。
でもこの子達も決して楽園に
行けるわけではない、
現実が存在していることを
現実はちゃんと教えてくれるのです。
ただバッドエンドではないです。

最後は自分なりにロゴを
考えてみました。
子宮、金玉、心臓です。



僕にとって神は僕であります。
僕の世界を作るのは
僕しかいないわけだから
そうなります。
僕が見たいと思うのを僕が作るだけ。
完全なる自己愛
完全なる自己満
この考えを理解してくれる人が
一人でもいれば、嬉しいです。
こうやって、自分の世界を
作るのが滅茶苦茶楽しい。
麻薬でもない
合法的なトリップです。
酒も飲めないけど、シラフで酔える。
シラフで一発ギャグもする。
全てシラフ。
シラッフ~~


最後に
こうしてみると
僕は
この現実世界を卑下しているような
感じですが、それは違います。
何故ならこの現実世界は
美しいところもあります。
そして
人間も素晴らしいところはあります。
でも、人間はクズでもあり、
そして
一部分の世界は腐ってもいます。

よく「この世は腐ってる」
なんて言葉がありますが、
それは違います。
クズな人間がいるだけで、
立派な人間もいる。
そして
この世界の
腐ってるとこだけを見て
この世界を
腐ってると言うのは違います。
この世界は全部が腐ってはなくて、
大抵
そう考えてしまう
そいつの方が
腐っているわけなんです。
だから、僕も腐っているわけです。
それに
自分が努力しないのが原因なのに
日々を楽しくない
とか言うのは違います。
まあ、言いたくなる
気持ちも分かります。
自分もよく言います。
だけど、
日々が楽しい人は
それ相応の努力をした
人の勝利の栄冠なわけです。
それなのに自分の不甲斐なさを
周りのせいにしては
いけないと思うのです。
そりゃ
周りのせいにしたくなる気持ちも
よく分かります。
もちろん
周りが悪い時もあることはある。
でも自分にも非があるはずです。
もし、そのことに対して
悔しさを感じるなら
その悔しさを
力に変えればいいと思うのです。

また、
人にはそれぞれ運もあります。
ただ、それは結局運です。
運が良いだけで
それをずるいだなんてのは
結局僻みにしか捉えられません。
運は運ですから。
どんなに
イケメンでもどんなに美女でも
運悪ければトレーラーに頭潰されて
死にますから。
人には
それぞれの家庭環境、才能、運が
あります。
はっきり、
それをみな平等にしろだなんてのは
無理な話です。
そしてもし
それを言うのであれば
この世界の創造主に言うべきです。
平等云々はこの世界に生かされている
人間に言う言葉ではないです。
「うちはうち、よそはよそ」
この言葉通りです。
人はそれぞれ
自分に課せられたペナルティに
打ち勝たなくてはならないのです。
もちろん
うまく逃げることも可能です。
僕は後述の
そのペナルティから逃れるために
こうして
自分の世界を作ることにしたんです。
一般的にそれを現実逃避と言います。

他人を羨むのも嫉妬するのも
恨むのもよーく分かります。
でも、それは結局他人が得た勝利です。
自分が勝利を得れないのは
大抵は自分が悪いことがあります。
「誰も悪くない、お前が悪いんだ。
お前が努力しないだけだ。」
そう自分に対して
思い続ければ悔しくなって
頑張れる気もします。
そして自分を愛し
自分という人間を自分の中で
分析していけば
身の程を知ることとなり、
無理もしなくなります。
それを僕は悟りだと思っています。
無理せずに、自分に不必要な世界には
入らなければいい。それだけです。
本当に恋人が欲しいなら
それに対して頑張ればいい。
別にいらないなら
自分の好きなことに
対して頑張ればいい。
人の幸せの感じ方は人それぞれです。
自分が思う幸せに対して努力をすれば
いいと思うのです。
全世界の人々の価値観を
統一させることなんてないのです。
そんな権利を持つ
人間はいないはずなんです。
だから戦争も起きる。
それは仕方のないことです。
そこで平和を願ったところで、
なにもなりません。
人は死ぬときは死にます。
死の運命には逆らえません。

簡潔にするつもりでしたが
長くなりました。
もしこの話に共感できる方が
一人でもいらっしゃれば
嬉しく思います。
個人的な考えです。
最後まで読んでくださった方
いらっしゃいましたら、
本当にありがとうございました。
また次の曲が出来ましたら、
また聴いてくだされば本当に
嬉しいです。
本当にありがとうございました。