チベット土着の宗教であるボン教の時代から、シャーマニズム的な治療が行われていました。これは一部現在でも受け継がれています。
チベット医学最古の文献は、ボン教の創始者シェンラプ・ミウォの息子チェベ・ティシェーが3900年前にボン教の伝統に基づいて書いた四つの医学書「ブンシ」で、今でも医師たちに利用されており、またチベット・マッサージの概念も説明されています。
6世紀には医師ガレノが外科手術を深く研究し、実践しました。
7世紀にはチベット医学の国際会議がチベットで開催され、ペルシャ、アフガニスタン、インド、モンゴル、ネパール、中国など近隣諸国から医師が大勢招聘され、他国の医学を貪欲に吸収しました。
7,8世紀には、医師ユトク・ユンテン・ゴンポがアラブでも医学を吸収し、「ブンシ」の内容を時代に合わせボン教から仏教的なものへと編纂し、また題名も四部医典(ギュ・シ)と改めました。
ユトクは医師の育成にも力を入れ、医師になるには12年間学ぶ必要があるようになりました。また、この時代には最初の女性医師も誕生しています。
9世紀にはドルブム・チュダクなどの二人の伝染病の専門家があらわれ、「ドゥツェ・ブンパ」などの重要な書物を残しました。
10世紀にはリンチェン・サンポによってアーユルヴェーダの文献が翻訳されました。
現代のチベット医学は、インドのアーユルヴェーダや中国の中医学、またモンゴルやネパール、ラダックとチベット周辺国の医学の影響も受けていますが、チベット医学に特徴的な事はその修行や研究が、チベット密教の哲学の元に行われている事です。
12世紀には新ユトク・ユンテン・ゴンポが、四部医典(ギュ・シ)をさらに編纂して充実したものにし、チベット医学の最も重要なテキストとして現在でも利用されています。
彼は、心の治療となる瞑想や儀式、音と真言についても研究し、医師の治癒能力を高めるための瞑想修行‘ユトク・ニンティ’も考案しました。
14,15世紀には二人の医師によって医学はより体系的なものとなっていき、この時二大流派が創立され、四部医典の注釈書が多く書かれて発展していきました。
17世紀にはダライ・ラマ5世はチベットで最も重要な医学校を設立し、またチベット医学を解説する図解である82枚のタンカを描かせました。
18世紀にはドュマル・テンズィン・プンツォが3000種類の薬草と鉱物薬についての文献に書き記しました。
19世紀にはユンテン・ギャツォとナムゲ・ギャツォと言う二人の医師がマントラ(真言)により治療の文献を編集しました。
この他にも多くの業績を残した医師たちがいますが、大まかな歴史を書いてみました

