雲上人の封印の書「ヤコブの手紙」。
それについて月刊誌「エノク」は、日本の中枢の深い部分に触れられていた。

そして、「エゼキエル書37章」についても述べられていた。
エゼキエルはある時谷間に連れていかれた。37章はそこでエゼキエルが見せられた事柄が綴られている。
その谷間には多くの骨で満ちていた。そして彼は主のことばを聞く。
『「人の子よ。これらの骨はイスラエルの全家である。ああ、彼らは骨は干からび、望みは消えうせ、私たちは断ち切られる」と言っている。』

この表現の意味するところは大いなる悲劇、立ち直ることの出来ないどん底の絶望ではないだろうか。
しかし、この奈落の底から創造主なる神はイスラエルの全家を再び生き返らせると告げたのである。

丹波篠山に丹波富士と呼ばれる山がある。高城山と言われているが、その頂上には八上城の城跡がある。
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この城跡は丹波国を治めた波多野秀治氏の居城だった。
しかし、明智光秀の攻略により、悲惨な運命を辿っていった。

その八上城の城跡にとても不思議な石碑がある。

この石碑は毛利家が寄贈されたものだという。漢文で刻まれたその文字の中に、「枯骨生光」という文字が刻まれていた。 

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「枯れた骨に光が生じる」
このような言葉を何故石碑に刻んだのだろうか。そのことを考えるとやはりこの地は特異的な土地であったのかもしれない。

この高城山の近くには「弓月神社」がある。
小さな神社ではあるが「弓月」とは「弓月君」を祀った神社なのであろう。

弓月君は秦氏のリーダーとして渡来したと言われている。そして秦氏は古代ユダヤの人々だった。
丹波篠山は古代ユダヤの人々が多く集結した土地柄でもあったのだろう。
八上城の波多野氏も秦氏であると思われる。
秦氏は秦の始皇帝にちなんで付けた姓であるが、古代ユダヤの人々は、その「秦姓」を直接名乗れない人々もいた。
それで文字を換えて波が多いで「波多」としたり、波の田んぼで「波田」としたり、「畑」や「羽田」にも換えたと言う。また「服部」や「和田」もそうだと言うし、全く「ハタ」に拘らずに姓を名乗った秦氏もいた。
「島津」はその典型であると思う。

八上城の「八上」は「ヤー」は「神」であるという意味になる。
「八坂」も「ヤーサカ」とヘブライ語では呼ぶらしい。その八上城を築いた波多野氏の紋章は薩摩と同じ丸に十だと聞いたこともあった。

丸に十は、実は「エデンの園」を表している。
エデンの園の中央から四方に流れる川があった。
それを表した形が丸に十になったと言う。

話を戻すと、この八上城には多くの古代ユダヤの子孫たちが住んでいたのではないだろうか。
しかし、時代の狭間で彼らは虐げられて多くの人々が枯れた骨と化していった。
聞くところによると、明智光秀は八上城の麓で監視し、兵糧攻めにしたと言う。
多くの餓死者がその谷間に捨てられ、供養されずに放置された。

八上城の悲劇はエゼキエル37章の枯れた骨と同じだった。
彼らはどん底の絶望の中で、尽き果てていった人々だった。

しかしエゼキエル37章には、そのどん底の絶望から神による復活が告げられている。
八上城の城跡に寄贈された石碑の中に「枯骨生光」という文字が刻まれていることは実に不思議なことなのであろう。

このエゼキエル37章の次の章には有名な北の果てのゴグ(ロシア)がイスラエルに侵攻する預言が記されている。
そのロシアは今シリアに兵士を派遣させている。このシリアの隣にイスラエルはある。
多くの人はこのロシアの動向を注視して、エゼキエル書38章を思い返しているのではないだろうか。

そしてその頃に古代ユダヤの復活が起きる。
聖書預言は未来から見た世界が記されている。