北朝鮮は北朝鮮人たちが建国したと一般に言われている。しかし、北朝鮮を実質的に建国したのは日本人である。
それは畑中理すなわち朝鮮名では金策である。もちろん彼だけではなく、彼と共に協力した多くの陸軍中野学校出身者たちがいたのである。
私たちは朝鮮半島、それも北朝鮮の東海岸をたどっていくならば、そこに金策市という都市名を見つけることができるであろう。かつて日本が朝鮮半島全体を植民地としていた時から製鉄を中心とした重工業地域だったのである。この重要都市に、かつては日本人で朝鮮名を金策と言った人物の名前が付けられた重工業都市が存在するのである。ちなみに金策市は城津市と言われ、そこには日本海軍の研究所などがあった。
金策は巧みに金日成に接触し、かつ彼を担ぎ上げつつ、大日本帝国が大東亜戦争に敗れて朝鮮半島から撤退した直後、当時のコミンテルンが捏造した抗日パルチザン英雄伝説を作り上げていったのである。コミンテルンの策謀が発覚する前に朝鮮戦争が引き起こされて、国民は同胞が血を血で洗う悲惨な内戦に駆り出されていった。そのことで金日成の出自が国民の目から問題視される懸念は封じられたのである。

このことから誰が朝鮮半島を横切る不思議な線、すなわち38度線を設定したかを想像していただきたいのである。あの38度線がなければ、朝鮮半島全体はひとつの国家として独立し、日本に対して恐るべき政治的、軍事的、圧力を加えることになっていたであろう。加えてあの38度線によって朝鮮動乱が勃発することで、日本は「特需」を得て、大東亜戦争及び対米戦争によって完全に破壊された産業基盤を復興させることができたのである。
はたしてその舞台裏に誰がいたのか、いかなる戦略を立てていったのか、まさに38度線は朝鮮民族にとっては最大の悲劇であろうが、日本という国家を再生させる原動力になったことは明らかである。陸軍中野学校のメンバーの恐るべき謀略の知恵を読み取ることができるのである。

(中略)

朝鮮戦争が進められていく中、金策は自分の出自が露見したため、朝鮮動乱の最前線司令官として英雄的な戦死を遂げたと言われている。すなわち表舞台から姿を消したのである。
しかし、それは表の話であって裏においては、金策はそのような中で簡単に死を遂げる男ではなかった。彼には大きなビジョンと与えられた使命感があったのである。
表舞台から退いた金策は、ソ連による粛清にある程度成果を見出したのち、「主体思想(北朝鮮の政治思想)」の構築を提言し、のちに韓国へ亡命した黄長燁を中心に据えて理論構築を行い、北朝鮮を金王朝にすべく礎を築いていったのである。
ある時、金正日が父親(金日成)の金庫を開いてみると、金日成と金策の2人だけで写っている写真を見つけたと「金日成回顧録」の中で述べている。
これは金策の特殊な立場が間接的に示されていることを指している。
金策は、かつての大陸で大いに活動した黒龍会の指導者内田良平のもとで、対露工作に全力を注ぐために朝鮮半島の安定化を図っていったのである。
朝鮮半島それも北の方に「第二の日本」を造るという使命を彼は持っていた。アメリカをはじめ連合軍によって自らの祖国が完全に崩壊する、あるいは天皇制も崩壊するかもしれないと読み取り、第二の「天皇家を守る国家」を造っていったのである。
日本で「横田めぐみは生きている。そして横田めぐみは金正恩の母親である」と話されるようになったが、おそらくこれは正しい考え方であろうと思われる。
現に横田めぐみは繰り返し朝鮮名・姜美淑という名で日本を訪問していたのである。
「北朝鮮による拉致問題」とは何かということになるであろう。加えて横田めぐみの母系は天皇家の血統である。

つづく